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麦野C遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/91370
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.91370
引用表記 福岡市教育委員会 2021 『福岡市埋蔵文化財調査報告書1435:麦野C遺跡』福岡市教育委員会
福岡市教育委員会 2021 『麦野C遺跡』福岡市埋蔵文化財調査報告書1435
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書名 麦野C遺跡
発行(管理)機関 福岡市 - 福岡県
書名かな むぎのしーいせき
副書名 第17次調査
巻次 10
シリーズ名 福岡市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 1435
編著者名
編集機関
福岡市教育委員会
発行機関
福岡市教育委員会
発行年月日 20210325
作成機関ID 40130
郵便番号 8108621
電話番号 0927114667
住所 福岡市中央区天神1丁目8番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 麦野C遺跡 第17次
遺跡名かな むぎのCいせき
本内順位
遺跡所在地 博多区麦野6丁目15-14・15・16・18
所在地ふりがな はかたくむぎの
市町村コード 40132
遺跡番号 0050
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333255
東経(世界測地系)度分秒 1302754
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.548611 130.464999
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190918-20191021
調査面積(㎡)
193
調査原因 住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
奈良
近世(細分不明)
昭和
主な遺構
竪穴建物
土坑
井戸
ピット
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
磁器
陶器
漆器
特記事項 遺跡名かな:むぎのしーいせき
要約 麦野C 遺跡は福岡平野を北北西に延びる丘陵上に立地し、北西側の麦野A 遺跡との間には狭い谷が北東から入る。調査地点はこの谷に面した緩斜面に位置する。
20 ~ 40㎝ほどの攪乱土壌を除去した鳥栖ローム上面が遺構面で、北西へ向かって緩やかに下がり、標高は14.7 ~ 15.4 mである。検出した遺構は溝2条、土坑3基、井戸3基とピットである。覆土は主に黒褐色土または灰茶褐色土で、前者の遺構が古い傾向がある。
2条の溝は現代のもので北西へ走る。土坑のうち黒褐色土を覆土とするSK024、033 からは少量ながら古代の土師器、弥生土器が出土し、この時期の可能性がある。調査区中央には長軸80㎝ほどの長方形のピットからなる1間×2間の建物を検出した。そのピットの一つはSK033 に切られる。2 基の井戸は近世で1基は深さ2m、近世後半のSE056 は深さ4.4 m以上におよぶ。
遺物は古代以前と考えられる黒褐色土を覆土とする遺構からの出土が特に少ない。土坑からは弥生中期の須玖式片などが出土しているが、埋土に散在する程度で時期の決め手に欠ける。近世の井戸からは肥前陶器・磁器、漆器椀、石臼などが出土している。弥生時代中期から江戸期の集落の一部と言えよう。昭和初期の地図では竹林である。

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