奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41196 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132400 件
( 前年度比 + 1715 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147515 件
( 前年度比 + 2089 件 )
現在の文化財論文件数
120553 件
( 前年度比 + 1556 件 )
現在の文化財動画件数
1297 件
( 前年度比 + 113 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1243 件
( 前年度比 + 193 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第4地点

柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第4地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/91748
引用表記 文京区教育委員会 2020 『B-178:柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第4地点』文京区
文京区教育委員会 2020 『柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第4地点』B-178
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=章雄|last=谷川|first2=萌|last2=中島|first3=義典|last3=宇井|first4=眞紗雄|last4=蒲生|first5=将志|last5=森|first6=久|last6=藤根|first7=スダンシャン|last7=バンダリ|first8=真利恵|last8=野口|first9=保子|last9=黒沼|first10=弘展|last10=竹原|first11=恭子|last11=米田|title=柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第4地点|origdate=2020-12-25|date=2020-12-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91748|location=東京都文京区春日1-16-21|ncid=BC05265190}} 閉じる
ファイル
書名 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第4地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな やなぎさわけこまごめやしき むくさのたち むくさのその あと だい4ちてん
副書名 文京区立六義公園運動場管理棟改築事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-178
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
発行機関
文京区
発行年月日 20201225
作成機関ID 13105
郵便番号 1128555
電話番号
住所 東京都文京区春日1-16-21
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡 第4地点
遺跡名かな やなぎさわけこまごめやしきあと
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区本駒込6-16-10
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくほんこまごめ6-16-10
市町村コード 13105
遺跡番号 85
北緯(日本測地系)度分秒 354352
東経(日本測地系)度分秒 1394444
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7343 139.7423
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190930-20191204
調査面積(㎡)
240
調査原因 管理棟改築事業に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
その他
時代
縄文
弥生
古墳
奈良
平安
主な遺構
主な遺物
縄文土器
石器
古墳前期壺
奈良・平安須恵器圷
奈良・平安土師器甕
特記事項 遺跡名かな:やなぎさわけこまごめやしき むくさのたち むくさのその あと
種別
集落
その他
時代
近世(細分不明)
主な遺構
堀1
上水跡5
道跡3
植栽跡6
切土4
土坑1
小穴3
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
金属製品
木製品
ガラス製品
自然遺物
土類
その他
特記事項 ・柳沢家駒込屋敷の外周を廻る、鉤の手状を呈する幅約7mの堀が確認された。
・調査区を縦断し、給水源が千川上水と考えられる上水跡が確認された。
・上水跡は下部構造を伴い堀を掛け渡し、その様子が『六義園の図』に描かれたものと一致する。
要約  本調査は、柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡の4回目の調査にあたる。調査の結果、遺構確認面は3面確認され、3面の確認面は詳細な検討を経て計7期の変遷が示された。第1面(Ⅰa~Ⅰc期)は17世紀末葉から18世紀後葉に相当し、鉤の手形に屈曲する塀と塀に掛け渡す上水跡などが構築された。第2面(Ⅱa~Ⅱc期)は19世紀前葉から中葉に相当し、大規模な切土による庭園の削平が確認された。切土の底面には屋敷地の東西方向と同軸の2基の道跡が確認された。第3面(Ⅲ期)は19世紀中葉で、確認面は硬化面となり東西方向の軸を持つ轍状跡、同軸に沿って構築された植栽痕などが認められた。これらの遺構は、Ⅰa期の堀・上水跡の軸方向を踏襲するように概ね同軸・同位置に構築された。このことから、ⅠからⅢ期の確認面は柳沢家の土地利用の中で解釈されるものであった。Ⅰa期・Ⅲc期で上水跡が確認され、その遺構を同軸方向に延伸させると、現在の六義園の大泉水の要となる水分石に至ることが判明した。上水跡は千川上水を源とし、木樋を通して大泉水に給水された。堀は六義園の調査で初めて確認された外郭を廻る区画遺構で、覆土に水成堆積物が認められた。覆土の分析と『宴遊日記』を交えて、庭園内の豊かな植生、大泉水の水位の変化などが提示され、具体的な庭園の様子が明らかになった。調査結果によって『六義園の図』に描かれた絵図の内容は、その当時の庭園の様子を正確に伝えていることが示された。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 281
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力