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日向遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/61922
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.61922
引用表記 山元町教育委員会 2015 『山元町文化財調査報告書9:日向遺跡』山元町教育委員会
山元町教育委員会 2015 『日向遺跡』山元町文化財調査報告書9
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wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=隆博|last=山田|first2=祐|last2=藤田|title=日向遺跡|origdate=2015-03-27|date=2015-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/61922|ncid=BB18506510|doi=10.24484/sitereports.61922|series=山元町文化財調査報告書|volume=9}} 閉じる
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書名 日向遺跡
発行(管理)機関 山元町 - 宮城県
書名かな ひゅうがいせき
副書名 常磐自動車道(県境~山元間)建設工事に係る発掘調査報告書 ; 4
巻次
シリーズ名 山元町文化財調査報告書
シリーズ番号 9
編著者名
編集機関
山元町教育委員会
発行機関
山元町教育委員会
発行年月日 20150327
作成機関ID 04362
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 日向遺跡
遺跡名かな ひゅうがいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県亘理郡山元町山寺字日向
所在地ふりがな みやぎけんわたりぐんやまもとちょうやまでらあざひゅうが
市町村コード 04362
遺跡番号 14068
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 375812
東経(世界測地系)度分秒 1405208
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.97 140.868888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111101-20120116
調査面積(㎡)
1975
調査原因 常磐自動車道(県境~山元間)建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 *検出した遺構
竪穴住居跡7軒
掘立柱建物跡2棟
土坑8基
*墨書土器出土
種別
城館
時代
鎌倉
南北朝
室町
戦国
主な遺構
掘立柱建物跡
井戸跡
土坑
ピット
主な遺物
中世陶器
かわらけ
漆器
砥石
特記事項 *種別:屋敷跡
*検出した遺構
掘立柱建物跡40棟
井戸跡4基
土坑1基
ピット多数
種別
集落
散布地
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 *検出した遺構
 竪穴住居跡1軒
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
縄文土器
特記事項
種別
散布地
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
弥生土器
石包丁
特記事項 弥生中期後半(十三塚式)
要約  日向遺跡は、平成19・20年度に実施された分布調査により発見された遺跡で、亘理郡山元町山寺字日向に所在し、山元町役場の北西約1.1kmに位置する。遺跡は、阿武隈山地から東に延びる標高16~20mの丘陵南緩斜面に立地する。遺跡の範囲は、東西80m、南北110mほどの広がりをもつ。
 調査の結果、竪穴住居跡8軒、掘立柱建物跡42棟、井戸跡4基、土坑18基、焼成遺構3基、ピット323個、遺物包含層を検出した。出土遺物は、縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、陶器、かわらけ、羽口、鉄滓、土製品、石器などである。
 古墳時代の遺構は、竪穴住居跡1軒(SI7)で、出土遺物の特徴から6世紀後半頃のものと考えられる。
 奈良・平安時代の遺構には、竪穴住居跡7軒(SI1~7)、掘立柱建物跡2棟(SB39・40)、土坑8基(SK7~9・11~13・15・18)がある。これらは、遺構の重複関係や出土遺物から、SI5竪穴住居跡は8世紀末から9世紀初頭、その他の遺構は9世紀後半代のものと考えられる。この他、調査区内の遺構や遺物包含層から鉄滓が出土し、SI2・3竪穴住居跡のカマド支脚に鞴の羽口が使用されており、古代の日向遺跡には製鉄に関連する集団が居住し、周辺に製鉄関連遺構が存在する可能性がある。
 中世の遺構には、掘立柱建物跡40棟(SB1~38・41・42)、井戸跡4基(SE1~4)、土坑1基(SK17)、ピット多数であり、これらは屋敷地を構成していたことが推測される。時期は、出土遺物から、概ね13世紀後半~16世紀の屋敷跡であったと考えられる。大きく4時期に分けられ、その中で9時期以上の変遷があった可能性が考えられる。
 この他、今回の調査では、時期を確定できなかった遺構が多数残されているが、これらは古墳時代~近世にかけてのいずれかに属する遺構であると考えられる。また、調査区南側で確認された遺物包含層からは、縄文土器片や弥生時代中期後半の弥生土器片・石包丁、7世紀中葉~8世紀前半の土師器・須恵器が出土した。遺構は検出されていないが、周辺にはこの時期の遺構が分布する可能性がある。

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