奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41252 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132433 件
( 前年度比 + 1748 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147563 件
( 前年度比 + 2123 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1300 件
( 前年度比 + 116 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

前畑遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22700
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22700
引用表記 鹿児島県立埋蔵文化財センター 2008 『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書133:前畑遺跡』鹿児島県立埋蔵文化財センター
鹿児島県立埋蔵文化財センター 2008 『前畑遺跡』鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書133
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=栄次|last=廣|first2=拓也|last2=橋口|first3=勇|last3=野間口|first4=秀一郎|last4=吉井|first5=順子|last5=元田|title=前畑遺跡|origdate=2008-12-19|date=2008-12-19|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/22700|location=鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森2番1号|ncid=BA89968596|doi=10.24484/sitereports.22700|series=鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書|volume=133}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 前畑遺跡
発行(管理)機関 鹿児島県教育委員会 - 鹿児島県
書名かな まえはたいせき
副書名 一般国道220号鹿屋バイパス建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 10
巻次 2
シリーズ名 鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書
シリーズ番号 133
編著者名
編集機関
鹿児島県立埋蔵文化財センター
発行機関
鹿児島県立埋蔵文化財センター
発行年月日 20081219
作成機関ID
郵便番号 8994318
電話番号 0995485811
住所 鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森2番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 前畑遺跡 Ⅱ
遺跡名かな まえはたいせき
本内順位
遺跡所在地 鹿児島県鹿屋市郷之原町
所在地ふりがな かごしまけん かのやし ごうのはらちょう
市町村コード 46203
遺跡番号 203-12-129
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 312327
東経(世界測地系)度分秒 1304916
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 31.390833 130.821111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20050523-20071026
調査面積(㎡)
1600
調査原因 一般国道220号鹿屋バイパス建設
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
縄文
弥生
中世(細分不明)
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
集石遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
溝状遺構
掩体壕外壕
誘導路
主な遺物
条痕文系土器
山形押形文土器
平栫式土器
異形石器
礫器
磨石
山ノ口式土器
須玖式土器
土製円盤
磨製石鏃
磨製石斧
礫器
敲石
棒状敲石
軽石製品
古銭
銃弾
薬莢
ガラス製品
特記事項
要約  縄文時代早期後半の集石遺構が6基検出され,平栫式土器を中心に異形石器や礫器などが出土した。特に平栫式土器については,同型式内における土器変化がうかがえる良好な資料が確認された。共伴して出土した西北九州系サヌカイト製の異形石器からは,同時期における広域交流の様子をうかがい知ることができる。
 弥生時代中期後葉では,焼失した竪穴住居跡が1基,掘立柱建物跡1棟,土坑1基が検出された。弥生時代中期後葉における本遺跡の集落構成を捉えることができる。
また,遺構内及び周辺域では山ノ口式土器や須玖式土器,磨製石鏃や磨製石斧,礫器等が出土した。外来系の須玖式土器の出土は,当時の交流を知る手がかりになると思われる。
 近代では,本遺跡の南隣には太平洋戦争中に特攻基地があり,周辺には掩体壕及び誘導路があったことが知られている。本遺跡内でも,掩体壕外壕や誘導路などの遺構が検出され,銃弾や薬莢,ガラス製品が多数出土した。太平洋戦争中の施設・設備などについては,資料が重要な機密事項のため焼却された経緯等があり,戦中戦後の混乱の中で所在不明になった例も多い。その失われた資料を埋める,貴重な遺構・遺物であると捉えられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 595
ファイルダウンロード数 : 401

全国のイベント

外部出力