奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41245 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 鹿児島県 > 鹿児島県教育委員会 > 鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)

鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/91627
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.91627
引用表記 鹿児島県立埋蔵文化財センター 2021 『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書211:鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)』鹿児島県立埋蔵文化財センター
鹿児島県立埋蔵文化財センター 2021 『鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)』鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書211
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=梨絵|last=黒木|title=鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)|origdate=2021-03-01|date=2021-03-01|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91627|location=鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森2番1号|ncid=BC07805517|doi=10.24484/sitereports.91627|series=鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書|volume=211}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)
発行(管理)機関 鹿児島県教育委員会 - 鹿児島県
書名かな かごしまじょうあと(いぬおうものばば・ひよけち)
副書名 鹿児島第3合同庁舎整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書
シリーズ番号 211
編著者名
編集機関
鹿児島県立埋蔵文化財センター
発行機関
鹿児島県立埋蔵文化財センター
発行年月日 20210301
作成機関ID 46000
郵便番号 8994318
電話番号 0995485811
住所 鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森2番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)
遺跡名かな かごしまじょうあと
本内順位
遺跡所在地 鹿児島県鹿児島市山下町
所在地ふりがな かごしまけんかごしましやましたちょう
市町村コード 46201
遺跡番号 201-411
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 313601
東経(世界測地系)度分秒 1303321
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 31.600277 130.555833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20171204-20180223
調査面積(㎡)
220
調査原因 鹿児島第3合同 庁舎整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
遺跡概要
種別
散布地
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
杭列
溝状遺構
土坑
瓦溜
凝灰岩建物基礎(知業)
主な遺物
中国陶磁器
国産陶磁器(備前)
土師器
瓦質土器
薩摩焼
陶磁器(肥前)
陶磁器(志野)
陶磁器(瀬戸)
琉球陶器
鬼瓦
下駄
漆器
キセル
獣骨
獣歯
エンフィールド銃弾
土管
特記事項 遺跡名かな:かごしまじょうあと(いぬおうものばば・ひよけち)
要約  本遺跡は鹿児島城御楼門正面(本丸)に位置する,中世~近代の複合遺跡である。
 特に近世期が主体で,近世の包含層が4面確認された。近世最上層のⅢ層(砂層)からは,遺構が確認されなかったが18 世紀後半以降の遺物が出土した。Ⅳ層は,大量の焼土・炭化物・漆喰片を含む造成面で,層位・遺物・文献から,元禄9(1696)年の大火の処理層であることが明らかとなった。この層は,正徳3(1713)年にこの地を火除のための明地(火除地)に相当する。
 その下位のⅤ層面からは多くの遺構が検出された。近世最下層(Ⅵ層)では,本丸に垂直方向に延びる溝状遺構に伴う六角形の杭列が検出された。この杭列は,本丸前に設置されていた犬追物馬場の柵列の可能性が高いことが明らかとなった。なお,Ⅴ・Ⅵ層は17 世紀後半~ 18 世紀前半の遺物が主体である。
 本遺跡最下層のⅦ層からは,湧水する砂層から中世に相当する杭列が本丸に平行した状態で2列検出された。鹿児島城築城以前の姿を知る重要な成果である。
 調査の成果から,本遺跡が中世~近世にかけて鹿児島城築城以前~廃城となる近代までの状態が良好に残存していること,鹿児島城内の変遷が追える重層的な成果が得られている。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 516
ファイルダウンロード数 : 408

全国のイベント

外部出力