大友氏館跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143466
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.143466
引用表記 大分市教育委員会文化財課 2019 『大分市埋蔵文化財発掘調査報告書161:大友氏館跡』大分市教育委員会文化財課
大分市教育委員会文化財課 2019 『大友氏館跡』大分市埋蔵文化財発掘調査報告書161
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書名 大友氏館跡
発行(管理)機関 大分市 - 大分県
書名かな おおともし やかた あと
副書名 大分県大分市顕徳町3丁目所在の大友氏館跡確認調査報告書(3)
巻次 3
シリーズ名 大分市埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 161
編著者名
編集機関
大分市教育委員会文化財課
発行機関
大分市教育委員会文化財課
発行年月日 20190325
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大友氏館跡
遺跡名かな おおともしやかたあと
本内順位
遺跡所在地 大分市顕徳町
所在地ふりがな おおいたしけんとくまち
市町村コード 44201
遺跡番号 201347
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331350
東経(世界測地系)度分秒 1313703
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.230555 131.6175
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19991215-20000229
20040217-20050318
20040517-20060329
20050511-20070329
20070725-20071117
20080526-20080826
20100913-20101110
20110527-20110819
20111024-20120210
20110927-20120210
20161226-20170317
20170421-20171215
調査面積(㎡)
100
70
320
700
650
523
240
498.1
754.4
110.4
2652
4929.3
調査原因 大分駅周辺総合整備事業 / 重要遺跡確認調査
遺跡概要
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
礎石建物跡
礎石建物に伴う根締痕
区画溝
かわらけ一括廃棄土坑
ピット
柱穴列
柵跡
整地
砂利敷き遺構
井戸跡
主な遺物
土師器
青銅品
中国産陶磁器
国内産陶磁器
金箔塗り土師器片
白玉砂利
黒、灰色玉砂利
鉄製品
礎石
特記事項
要約  大友氏館跡の中心域について、館南東の池庭跡から中心建物跡までの空間をまとめて報告した。これまで、史跡の公有化などもあり、断続的に調査されてきたものを一体化させたものである。特に、中心建物跡について、16世紀の17SX250の掘り込み整地上面に、礎石自体は抜き取られていたが、その礎石を根固めする根締痕は残存していた。その根締痕は切り合い関係があることなどから、16世紀に複数回の建替えが行われたことも明らかとなった。その中で最終段階の中心建物跡は、柱間が6尺5寸の1間で、主軸が北から東に4度振っていることが解明され、南側と北側に1棟づつ、検出されたものである。また当時の大友氏館跡中心域の地表面について、近世の水田の削平による制限も受けるが、砂利敷き遺構やかわらけ一括廃棄土坑の深度、礎石建物跡などを参照に復元すると、一律に平坦面ではなく、空間によって地表面の差が少なからず存在することが明らかとなった。中でも最も当時の地表面が高くなるのは、17SX250の場所で、中心建物跡が考えられている箇所である。そのほかにも、区画溝や塀の痕跡と考えられる柱穴列なども検出されており、16世紀の大友氏館跡中心域の景観が具体的に解明されてきたといえる。

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