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発行機関一覧 (都道府県別) > 熊本県 > 甲佐町 > 陣ノ内城跡-総括報告書-

陣ノ内城跡-総括報告書-

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/140785
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.140785
引用表記 熊本県甲佐町教育委員会 2020 『甲佐町文化財調査報告第5集:陣ノ内城跡-総括報告書-』熊本県甲佐町教育委員会
熊本県甲佐町教育委員会 2020 『陣ノ内城跡-総括報告書-』甲佐町文化財調査報告第5集
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書名 陣ノ内城跡-総括報告書-
発行(管理)機関 甲佐町 - 熊本県
書名かな じんのうちじょうあと-そうかつほうこくしょ-
副書名
巻次
シリーズ名 甲佐町文化財調査報告
シリーズ番号 第5集
編著者名
編集機関
熊本県甲佐町教育委員会
発行機関
熊本県甲佐町教育委員会
発行年月日 20201225
作成機関ID 434442
郵便番号 8614696
電話番号 0962342447
住所 熊本県上益城郡甲佐町大字豊内719番地4
報告書種別
史跡-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 陣ノ内城跡
遺跡名かな じんのうちじょうあと
本内順位
遺跡所在地 熊本県上益城郡甲佐町大字豊内字陳ノ内 他
所在地ふりがな くまもとけんかみましきぐんこうさまちおおあざとようちあざじんのうち ほか
市町村コード 434442
遺跡番号 016
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 323859
東経(世界測地系)度分秒 1304859
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.649722 130.816388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
調査面積(㎡)
1152
調査原因 確認調査
遺跡概要
種別
城館
時代
鎌倉
南北朝
室町
戦国
安土桃山
主な遺構
土塁
虎口
石列
主な遺物
同安窯青磁
龍泉窯青磁
華南産白磁
高麗象嵌青磁
東播系須恵器
景徳鎮窯染付
漳州窯染付
肥前系陶磁器
特記事項  本報告書は平成14 年~令和元年にかけて実施された甲佐町指定文化財「陣ノ内館跡」の発掘調査をはじめとした諸調査の成果をまとめた総括報告書である。
 陣ノ内城跡は、豊臣大名である小西行長の支城として位置づけられる城郭であり、現在でも遺跡の中心に約1.9ha の方形の平坦部を持ち、その周囲を囲む約400m の堀と土塁が良好に残存している。発掘調査の結果、その構造は「南東及び北西端に虎口を構え、2か所の屈曲した堀を持つ城」として理解でき、小西の城郭の遺構を良好に残す数少ない城郭である。
 また、陣ノ内城跡とその南方200 mに所在する松尾城跡(甲佐町指定文化財)との関係は、旧来の拠点城郭に隣接した箇所にこれまでの肥後国には認められない直線的な塁線を縄張とした城郭を築城することで、新たな統治体制への移行を強く意識させたものである。これは国衆一揆鎮圧直後の難治の国であった肥後国を宛がわれた小西行長がとった領国経営の手法を明瞭に残しており、豊臣大名が新たな領国を宛がわれた際の支配モデルの一つとして有力な事例である。
 最後に、陣ノ内城跡の立地は緑川筋中流域の水陸交通の要衝であったために、中世から常に統治権力やそれに準ずる権力によって土地利用されていた。それは小西の領国経営において必須であった緑川筋の支配を確立するためにも重要であった。
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項
要約

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