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今富城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/46519
引用表記 大村市教育委員会 2008 『大村市文化財調査報告32:今富城跡』大村市教育委員会
大村市教育委員会 2008 『今富城跡』大村市文化財調査報告32
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲史|last=安楽|first2=哲史|last2=安樂|title=今富城跡|origdate=2008-06-30|date=2008-06-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/46519|location=長崎県大村市玖島1丁目25|ncid=BA8656075X|series=大村市文化財調査報告|volume=32}} 閉じる
ファイル
書名 今富城跡
発行(管理)機関 大村市 - 長崎県
書名かな いまとみじょうあと
副書名 携帯電話無線基地局建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 大村市文化財調査報告
シリーズ番号 32
編著者名
編集機関
大村市教育委員会
発行機関
大村市教育委員会
発行年月日 20080630
作成機関ID
郵便番号 856-8686
電話番号 0957-53-4111
住所 長崎県大村市玖島1丁目25
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 今富城跡
遺跡名かな いまとみじょうあと
本内順位 1
遺跡所在地 長崎県大村市皆同町
所在地ふりがな ながさきけんおおむらしかいどうまち
市町村コード 42205
遺跡番号 5-55/77-63
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 325700
東経(世界測地系)度分秒 1295730
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.95 129.958333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070718-20070903
調査面積(㎡)
180
調査原因 携帯電話無線基地局建設
遺跡概要
種別
城館
時代
戦国
主な遺構
空堀
柱穴
主な遺物
輸入陶磁器
国産陶磁器
特記事項
遺跡名 今富城跡
遺跡名かな いまとみじょうあと
本内順位 2
遺跡所在地 長崎県大村市皆同町
所在地ふりがな ながさきけんおおむらしかいどうまち
市町村コード 42205
遺跡番号 5-55/77-63
北緯(日本測地系)度分秒 325700
東経(日本測地系)度分秒 1295730
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.9533 129.9561
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070718-20070903
調査面積(㎡)
180
調査原因 携帯電話無線基地局建設
遺跡概要
種別
城館
時代
戦国
主な遺構
空堀
柱穴
主な遺物
輸入陶磁器
国産陶磁器
特記事項
遺跡名 今富城跡
遺跡名かな いまとみじょうあと
本内順位 3
遺跡所在地 長崎県大村市皆同町
所在地ふりがな ながさきけんおおむらしかいどうまち
市町村コード 42205
遺跡番号 5-55
北緯(日本測地系)度分秒 325700
東経(日本測地系)度分秒 1295730
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.9533 129.9561
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070718-20070903
調査面積(㎡)
180
調査原因 携帯電話無線基地局建設
遺跡概要
種別
城館
時代
戦国
主な遺構
空掘
柱穴
主な遺物
輸入陶磁器
国産陶磁器
特記事項
要約 [今富城跡 要約]
戦国期の大村氏の城郭である今富城跡での携帯電話無線基地局建設に伴う緊急発掘調査。今富城は16代純伊が有馬氏に備えて築いたとされ、純忠の代に三城城へ移ってからも、大村氏領国の防衛上重要な城であった。今富城の所在する郡川周辺は、古くから穀倉地帯として発展してきた地域であり、古代には彼杵郡一帯でも最大の条里が敷かれた。また、「こおり」の地名から彼杵郡家の存在がうかがえる。今富城が成立する丘陵は明治の鉄道建設時に南側を削られ、太平洋戦争時に日本海軍の高射砲陣地が築かれたため、本来の地形が変容している。調査地は丘陵先端の北側に位置し、周辺には高射砲跡と弾薬庫として利用された壕が残っている。調査は200平米を対象に実施した。その結果、調査区を東西に横切る逆台形状の断面形をもつ空掘を検出した。調査区の西側は近世の造成による攪乱で空掘は失われているが、東から西にかけて傾斜が上がっていることから、曲輪間の連絡通路として利用されたと考えられ、丘陵北側の低湿地から攻撃してくる敵に対し、小曲輪を配し横堀と土塁で守るを固めていたことが窺える。空掘は短時間のうちに埋められているが、堀底には自然堆積土がほとんどなく、埋め戻される直前まで管理が行届いていたと思われる。また、遺物は堀上部から少量出土しているが、16世紀末から17世紀初頭のものを下限としている。このことから空掘は17世紀初頭頃に埋められたものと思われる。
[今富城跡 要約]
戦国期の大村氏の城郭である今富城跡での携帯電話無線基地局建設に伴う緊急発掘調査。今富城は16代純伊が有馬氏に備えて築いたとされ、純忠の代に三城城へ移ってからも、大村氏領国の防衛上重要な城であった。今富城の所在する郡川周辺は、古くから穀倉地帯として発展してきた地域であり、古代には彼杵郡一帯でも条里が敷かれた。また、「こおり」の地名から彼杵郡家の存在がうかがえる。 今富城跡が立地する
[今富城跡 要約]
戦国期の大村氏の城郭である今富城跡での携帯電話無線基地局建設に伴う緊急発掘調査。今富城は16代純伊が有馬氏に備えて築いたとされ、純忠の代に三城城へ移ってからも、大村氏領国の防衛上重要な城であった。今富城の所在する郡川周辺は、古くから穀倉地帯として発展してきた地域であり、古代には彼杵郡一帯でも最大の条里が敷かれた。また、「こおり」の地名から彼杵郡家の存在がうかがえる。今富城が成立する丘陵は明治の鉄道建設時に南側を削られ、太平洋戦争時に日本海軍の高射砲陣地が築かれたため、本来の地形が変容している。調査地は丘陵先端の北側に位置し、周辺には高射砲跡と弾薬庫として利用された壕が残っている。調査は200平米を対象に実施した。その結果、調査区を東西に横切る逆台形状の断面形をもつ空掘を検出した。調査区の西側は近世の造成による攪乱で空掘は失われているが、東から西にかけて傾斜が上がっていることから、曲輪間の連絡通路として利用されたと考えられ、丘陵北側の低湿地から攻撃してくる敵に対し、小曲輪を配し横堀と土塁で守るを固めていたことが窺える。空掘は短時間のうちに埋められているが、堀底には自然堆積土がほとんどなく、埋め戻される直前まで管理が行届いていたと思われる。また、遺物は堀上部から少量出土しているが、16世紀末から17世紀初頭のものを下限としている。このことから空掘は17世紀初頭頃に埋められたものと思われる。

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