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発行機関一覧 (都道府県別) > 福岡県 > 久留米市 > 松ヶ本遺跡(第7・8次)・二本木遺跡(第14次)・白山遺跡(第1次)・東櫛原今寺遺跡(第8次)

松ヶ本遺跡(第7・8次)・二本木遺跡(第14次)・白山遺跡(第1次)・東櫛原今寺遺跡(第8次)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/57922
引用表記 久留米市文化観光部文化財保護課 2011 『久留米市文化財調査報告書300:松ヶ本遺跡(第7・8次)・二本木遺跡(第14次)・白山遺跡(第1次)・東櫛原今寺遺跡(第8次)』久留米市教育委員会
久留米市文化観光部文化財保護課 2011 『松ヶ本遺跡(第7・8次)・二本木遺跡(第14次)・白山遺跡(第1次)・東櫛原今寺遺跡(第8次)』久留米市文化財調査報告書300
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書名 松ヶ本遺跡(第7・8次)・二本木遺跡(第14次)・白山遺跡(第1次)・東櫛原今寺遺跡(第8次)
発行(管理)機関 久留米市 - 福岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kurume.fukuoka.jp
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな まつがもと いせき (だい7・8じ)・にほんぎ いせき (だい14じ)・しろやま いせき (だい1じ)・ひがしくしはら いまでら いせき (だい8じ)
副書名 久留米市埋蔵文化財調査集報 ; 13
巻次
シリーズ名 久留米市文化財調査報告書
シリーズ番号 300
編著者名
編集機関
久留米市文化観光部文化財保護課
発行機関
久留米市教育委員会
発行年月日 20110325
作成機関ID 40203
郵便番号 8308520
電話番号 0942309225
住所 福岡県久留米市城南町15-3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 松ヶ本遺跡 第7次
遺跡名かな まつがもといせき
本内順位 1
遺跡所在地 久留米市山川神代一丁目
所在地ふりがな くるめしやまかわまちくましろいっちょうめ
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331916
東経(世界測地系)度分秒 1303339
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.321111 130.560833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19921012-19921124
調査面積(㎡)
330
調査原因 工場建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
包含層
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項
種別
集落
時代
平安
主な遺構
溝 1条
主な遺物
土師器
瓦質土器
特記事項
種別
集落
時代
室町
主な遺構
土坑 4基
主な遺物
土師器
瓦質土器
特記事項
種別
集落
時代
近代(細分不明)
主な遺構
溝 2条
主な遺物
特記事項 縄文土器の多くは早期の押型文。
遺跡名 松ヶ本遺跡 第8次
遺跡名かな まつがもといせき
本内順位 2
遺跡所在地 久留米市山川神代一丁目
所在地ふりがな くるめしやまかわまちくましろいっちょうめ
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331915
東経(世界測地系)度分秒 1303338
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.320833 130.560555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19940526-19940606
調査面積(㎡)
140
調査原因 共同住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
包含層
主な遺物
縄文土器
特記事項
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
竪穴住居 1軒
ピット
主な遺物
土師器
特記事項 縄文土器の多くは早期の押型文。
遺跡名 二本木遺跡 第14次
遺跡名かな にほんぎいせき
本内順位 3
遺跡所在地 久留米市御井町字岩井川
所在地ふりがな くるめしみいまちあざいわいごう
市町村コード 40203
遺跡番号 30284
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331833
東経(世界測地系)度分秒 1303319
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.309166 130.555277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19980506-19980612
調査面積(㎡)
340
調査原因 共同住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
土坑 3基
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
平安
鎌倉
主な遺構
掘立柱建物 1棟
溝 2条
土坑 16基
土壙墓 1基
主な遺物
土師器
須恵器
瓦器
輸入陶磁器
石鍋
東播系捏鉢
常滑焼
大型銭
特記事項
種別
時代
近代(細分不明)
主な遺構
主な遺物
統制陶器
特記事項 12世紀代に属する5間✕3間の束柱を伴う建物跡を検出。二本木遺跡での中心的な建物と考えられる。
遺跡名 白山遺跡 第1次
遺跡名かな しろやまいせき
本内順位 4
遺跡所在地 久留米市白山町字鳥飼29-7ほか6筆
所在地ふりがな くるめししらやままちあざとりかい29-7ほか6
市町村コード 40203
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331917
東経(世界測地系)度分秒 1303006
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.321388 130.501666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20071112-20080212
調査面積(㎡)
735
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
竪穴住居 1軒
掘立柱建物 1軒
主な遺物
須恵器
土師器
特記事項 8世紀の竪穴住居跡と掘立柱建物跡を検出。
遺跡名 東櫛原今寺遺跡 第8次
遺跡名かな ひがしくしはらいまでらいせき
本内順位 5
遺跡所在地 久留米市東櫛原町字今寺
所在地ふりがな くるめしひがしくしはらまちあざいまでら
市町村コード 40203
遺跡番号 030074
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331921
東経(世界測地系)度分秒 1303114
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.3225 130.520555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100428-20100604
調査面積(㎡)
190
調査原因 武道場建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
落とし穴 2基
主な遺物
特記事項
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居 1基
炉跡 1基
貯蔵穴 3基
土坑 数基
ピット 多数
主な遺物
弥生土器
土師器
石器(黒曜石・サヌカイト)
石包丁
扁平片刃石斧
特記事項
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構 1条
主な遺物
土師器
近世陶磁器
特記事項 松菊里型住居と扁平片刃石斧のセットが検出された。住居は石器工房跡である。
要約 (松ヶ本遺跡 第7次)
調査地は筑後川中流の自然堤防上に位置し、標高9mを測る。縄文時代の遺物は早期から晩期に至るまで確認でき、大半が早期の押型文に属する。本遺跡の北側に位置する安国寺遺跡においても同様の在り方を示しており、縄文時代において小規模なユニットの形成が本地点でおいてなされていたことを物語る。歴史時代については、明確な遺構・遺物の出土は見られなかったことから、集落の縁辺部に位置するものと考えられる。
(松ヶ本遺跡 第8次)
調査地は筑後川中流の自然堤防上に位置し、標高9mを測る。縄文時代の遺物は早期から晩期に至るまで確認でき、大半が早期の押型文に属する。第7次調査と同様に、縄文時代において小規模なユニットの形成が本地点においてなされていたことを物語る。奈良時代では竪穴住居を1軒検出した。またピットが密集して検出されており、この付近が集落の中心部にあたるものと考えられる。
(二本木遺跡 第14次)
高良山から派生する標高30m前後を測る丘陵上に位置する。検出された遺構は8世紀半ば~後半、12~13世紀代の大きく二時期に分けられる。遺構の主体は後者で、土坑・溝・ピットが密集して検出された。特筆すべき遺構として、5間✕3間の束柱を伴う掘立柱建物(SB30)が挙げられる。加えて当時として市内では初めてとなる大型銭の崇寧重寶1枚も出土した。本遺跡の西方400mには筑後国府Ⅳ期政庁に比定される横道遺跡が存在しており、距離的にも当地には深く関与した官人の居住域が広く展開していたものと考えられる。
(白山遺跡 第1次)
調査地は筑後川の氾濫原に張り出した丘陵上、標高9m地点に位置する。調査の結果、8世紀代の竪穴住居跡と掘立柱建物跡を検出した。当地は、律令期「三瀦郡鳥養郷」に推定されており、鳥養郷に属する集落としては、初めての発見例となる。
(東櫛原今寺遺跡 第8次)
当該調査地点は、弥生時代前期後半~中期前半の集落跡を主体とする。中央土坑を持つ松菊里型住居が検出され、扁平片刃石斧が共伴し、半島との交流が窺われる。また、住居からは、多量の黒曜石やサヌカイトの剥片やチップが出土し、石器工房の様相も持ち合わせる。内部に炉を持たず、屋外に炉を有する。
縄文時代の落とし穴は、当遺跡において初見である。従来、弥生時代以前に遡る遺構は検出されていなかったが、周辺の台地上に縄文時代の生活痕跡がある可能性が高まってきた。

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