URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/65277
|
引用表記 |
久留米市文化観光部文化財保護課 2006 『久留米市文化財調査報告書231:久留米市内遺跡群』久留米市教育委員会
|
久留米市文化観光部文化財保護課 2006 『久留米市内遺跡群』久留米市文化財調査報告書231
|
wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=康治|last=近澤|first2=昇|last2=大石|first3=映子|last3=塚本|first4=伸彦|last4=江島|title=久留米市内遺跡群|origdate=2006-03-31|date=2006-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/65277|location=福岡県久留米市城南町15-3|ncid=BN14445317|series=久留米市文化財調査報告書|volume=231}}
閉じる
|
ファイル |
|
書名 |
久留米市内遺跡群 |
発行(管理)機関 |
久留米市
- 福岡県
|
有償頒布・配布ページ |
https://www.city.kurume.fukuoka.jp ※ 有償頒布・配布していない場合もあります |
書名かな |
くるめしないいせきぐん |
副書名 |
|
巻次 |
平成17年度 |
シリーズ名 |
久留米市文化財調査報告書 |
シリーズ番号 |
231 |
編著者名 |
|
編集機関 |
久留米市文化観光部文化財保護課
|
発行機関 |
久留米市教育委員会
|
発行年月日 |
20060331 |
作成機関ID |
40203 |
郵便番号 |
8308520 |
電話番号 |
0942309225 |
住所 |
福岡県久留米市城南町15-3 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
|
JP番号 |
|
他の電子リソース |
|
備考 |
|
所収論文 |
|
所収遺跡 |
遺跡名 |
久留米城外郭遺跡 第8次 |
遺跡名かな |
くるめじょうそとぐるわいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
久留米市篠山町字四丁目242-3 |
所在地ふりがな |
くるめしささやままちあざよんちょうめ242-3 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331922 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303024 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.322777 130.506666
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20040614-20040630
|
調査面積(㎡) |
67
|
調査原因 |
専用住宅建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
土坑 1基
|
主な遺物 |
弥生土器
石庖丁
|
特記事項 |
|
種別 |
城館
|
時代 |
江戸
|
主な遺構 |
井戸 1基
土坑 2基
|
主な遺物 |
近世陶磁器
瓦
|
特記事項 |
弥生時代の遺物とピットを検出。江戸時代末頃の土坑2基を検出。 |
|
遺跡名 |
京隈侍屋敷遺跡 第4次 |
遺跡名かな |
きょうぐまさむらいやしきいせき |
本内順位 |
2 |
遺跡所在地 |
久留米市城南町7-5、7-6 |
所在地ふりがな |
くるめしじょうなんまち7-5、7-6 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331919 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303017 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.321944 130.504722
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20040930-20041007
|
調査面積(㎡) |
21
|
調査原因 |
専用住宅建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
竪穴住居 1軒
|
主な遺物 |
弥生土器
石器
|
特記事項 |
|
種別 |
城館
|
時代 |
江戸
|
主な遺構 |
土坑
|
主な遺物 |
近世陶磁器
土師器
|
特記事項 |
弥生中期の竪穴住居はこの地区では初めて検出された。 |
|
遺跡名 |
念仏塚遺跡 第5次 |
遺跡名かな |
ねんぶつづかいせき |
本内順位 |
3 |
遺跡所在地 |
久留米市安武町字念仏塚 |
所在地ふりがな |
くるめしやすたけまちあざねんぶつづか |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331733 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1302908 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.2925 130.485555
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20050301-20050316
|
調査面積(㎡) |
75
|
調査原因 |
農業用倉庫建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
土坑 1基
ピット 多数
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
墨書土器
|
特記事項 |
ピットが多数確認されたが、面積が些少なため、建物は建たなかった。遺物は土坑のみからの出土であり、墨書土器を含む多量の土器が出土した。 |
|
遺跡名 |
八枝遺跡 第1次 |
遺跡名かな |
やつえいせき |
本内順位 |
4 |
遺跡所在地 |
久留米市国分町字八枝 |
所在地ふりがな |
くるめしこくぶまちあざやつえ |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331748 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303229 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.296666 130.541388
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20050909-20050914
|
調査面積(㎡) |
38
|
調査原因 |
専用住宅建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝 2条
ピット 数個
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
溝状遺構2条と数十個のピットを検出した。遺物も数点しか出土していないが、ヘラ切り底の杯片が出土している。 |
|
遺跡名 |
高三潴北小路遺跡 第1次 |
遺跡名かな |
たかみずまきたこうじいせき |
本内順位 |
5 |
遺跡所在地 |
久留米市三潴町高三潴字北小路 |
所在地ふりがな |
くるめしみずままちたかみずまあざきたこうじ |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331548 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1302746 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.263333 130.462777
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20050915-20050916
|
調査面積(㎡) |
33
|
調査原因 |
専用住宅建設に伴う確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
墓
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
甕棺墓 3基
石蓋土壙墓 1基
|
主な遺物 |
甕棺
|
特記事項 |
高三潴遺跡群内にある甕棺墓を確認。今回は確認した甕棺のうち2基についてのみ取上げを行った。 |
|
遺跡名 |
石丸遺跡 第8次 |
遺跡名かな |
いしまるいせき |
本内順位 |
6 |
遺跡所在地 |
久留米市東櫛原町字石丸 |
所在地ふりがな |
くるめしひがしくしはらまちあざいしまる |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
030075 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331922 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303117 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.322777 130.521388
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20051108-20051125
|
調査面積(㎡) |
150
|
調査原因 |
専用住宅建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
ピット
|
主な遺物 |
弥生土器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝 1条
|
主な遺物 |
土師器
瓦器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
江戸
|
主な遺構 |
土坑 2基
|
主な遺物 |
近世陶磁器
|
特記事項 |
概要報告 |
|
|
要約 |
(久留米城外郭遺跡 第8次) 調査面積が狭く、全体を把握できなかったが、弥生時代の遺物のピットを検出した。江戸時代に削平を受けているものと考えられる。江戸時代頃の遺構は土坑2基であった。1基は瓦溜めで、もう1基は穴蔵であった。穴蔵は使用されなくなって廃棄土坑となったものであろう。 (京隈侍屋敷遺跡 第4次) この地区で初めての弥生時代中期の竪穴住居を検出した。北東隣には明善高校校庭遺跡が拡がるが、これまで不明だった遺跡の性格がおぼろげながら見えてきた。 (念仏塚遺跡 第5次) 念仏塚遺跡第1次調査から第4次調査までと同様9世紀代の土師器を中心とする遺跡が多数出土した。遺物が出土したのは調査区北にて確認された土坑からのみであった。この土坑からは数点の墨書土器が出土している。不明な文字もあるが、大半は「南宅氏」の文字がみえ、杯及び皿の底部に書かれている。「南」の文字が書かれていることから、当遺跡地より南に比定する三潴郡衙に対する位置付けなど、今後の周辺状況を考える上で貴重な手掛かりとなろう。 (八枝遺跡 第1次) 八枝遺跡は試掘調査で確認された遺跡であり、今回の調査まで遺跡の性格や時期について不明であった。今回の調査は遺跡の性格や時期について確認すべく実施したが、遺構密度が薄く、遺跡も僅かしか出土しなかった。しかしながら、時期的には平安時代末頃と思われる遺物が出土しており、国分尼寺の近接地であることから、筑後国分尼寺との関連が想定される。 (高三潴北小路遺跡 第1次) 調査面積が些少であり、遺跡全体を把握するには検討材料が少ない。調査地は「高三潴遺跡群」の中に所在し、高三潴地区にて実施した2例目の発掘調査となる。調査地の南にある「高三潴小学校校庭遺跡」からは、校庭建設当時数多くの甕棺が出土したという。また東に隣接する畑には、現在露出していないものの、石棺が確認されており、周辺も含めて弥生時代の墓域を考える上で貴重な資料となった。西側において、以前確認された「塚崎東畑遺跡」でも甕棺が出土しており、遺跡の広がりを示す手掛かりとなろう。 |