URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/65233
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引用表記 |
久留米市文化観光部文化財保護課 2007 『久留米市文化財調査報告書249:筑後国府跡・国分寺跡』久留米市教育委員会
|
久留米市文化観光部文化財保護課 2007 『筑後国府跡・国分寺跡』久留米市文化財調査報告書249
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=公久|last=神保|first2=美詠子|last2=米澤|first3=太郎|last3=小澤|title=筑後国府跡・国分寺跡|origdate=2007-03-31|date=2007-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/65233|location=福岡県久留米市城南町15-3|ncid=BN04437822|series=久留米市文化財調査報告書|volume=249}}
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ファイル |
|
書名 |
筑後国府跡・国分寺跡 |
発行(管理)機関 |
久留米市
- 福岡県
|
有償頒布・配布ページ |
https://www.city.kurume.fukuoka.jp ※ 有償頒布・配布していない場合もあります |
書名かな |
ちくごこくふあとこくぶんじあと |
副書名 |
平成18年度発掘調査報告・概要報告 |
巻次 |
|
シリーズ名 |
久留米市文化財調査報告書 |
シリーズ番号 |
249 |
編著者名 |
|
編集機関 |
久留米市文化観光部文化財保護課
|
発行機関 |
久留米市教育委員会
|
発行年月日 |
20070331 |
作成機関ID |
40203 |
郵便番号 |
8308520 |
電話番号 |
0942309225 |
住所 |
福岡県久留米市城南町15-3 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
|
所収遺跡 |
遺跡名 |
筑後国府跡 第208次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字井葉212-1 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざいば212-1 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331841 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303229 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.311388 130.541388
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20050910-20060210
|
調査面積(㎡) |
1000
|
調査原因 |
重要遺跡確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
竪穴建物 4棟
掘立柱建物 6棟
溝 14
土坑 2基
井戸 2基
道路状遺構
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
古瓦
輸入陶磁器
施釉陶器
石製品
鉄製品
|
特記事項 |
国司館地区南側で新たな区画施設を検出。また、その東辺を南北走行する道路状遺構も検出した。 |
|
遺跡名 |
筑後国府跡 第211次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
2 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字広野171-1 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざひろの171-1 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331849 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303233 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.313611 130.5425
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060116-20060127
|
調査面積(㎡) |
31
|
調査原因 |
専用住宅建設に伴う確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
道路状遺構
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
古瓦
緑釉陶器
|
特記事項 |
筑後国府域の中央を縦貫する推定官道を検出。 |
|
遺跡名 |
筑後国府跡 第212次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
3 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字立石410-1、411-1 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざたていし410-1、411-1 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331850 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303239 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.313888 130.544166
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060307-20060330
|
調査面積(㎡) |
530
|
調査原因 |
宅地造成に伴う確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
道路状遺構
ピット
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
古瓦
|
特記事項 |
|
種別 |
官衙
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
道路状遺構
ピット
|
主な遺物 |
灰釉陶器
輸入陶磁器
|
特記事項 |
|
種別 |
官衙
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝 3条
|
主な遺物 |
鉄製品
石製品
|
特記事項 |
筑後国府域の中央を縦貫する推定官道を約70mにわたり検出。 |
|
遺跡名 |
筑後国府跡 第213次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
4 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字田代1195-5、1195-6 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざたしろ1195-5、1195-6 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331853 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303220 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.314722 130.538888
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060515-20060614
|
調査面積(㎡) |
200
|
調査原因 |
専用住宅建設 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
掘立柱建物 2棟
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
|
種別 |
官衙
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
溝 2条
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
古瓦
鉄製品
|
特記事項 |
大型掘立柱建物の一部を2棟検出。また、9世紀代の南北溝も検出している。 |
|
遺跡名 |
筑後国府跡 第216次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
5 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字久保野143-1、145 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざくぼの143-1、145 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331849 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303233 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.313611 130.5425
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060823-20060825
|
調査面積(㎡) |
57
|
調査原因 |
共同住宅建設に伴う確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
道路状遺構
ピット
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
国司館南区画の東辺から東へ延びる道路状遺構を確認した。 |
|
遺跡名 |
筑後国府跡 第214次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
6 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字井葉211 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざいば211 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331843 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303228 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.311944 130.541111
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060731-20070112
|
調査面積(㎡) |
750
|
調査原因 |
専用住宅建設 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
竪穴建物
土坑
溝
掘立柱建物
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
鉄器
施釉陶器
輸入陶磁器
古瓦
|
特記事項 |
概要報告 |
|
遺跡名 |
筑後国府跡 第215次 |
遺跡名かな |
ちくごこくふあと |
本内順位 |
7 |
遺跡所在地 |
久留米市合川町字井葉209-1、字風祭229-3、230-3 |
所在地ふりがな |
くるめしあいかわまちあざいば209-1、あざかざまつり229-3、230-3 |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30112 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331843 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303227 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.311944 130.540833
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060802-20061130
|
調査面積(㎡) |
350
|
調査原因 |
重要遺跡確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
官衙
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
竪穴建物
土坑
溝
掘立柱建物
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
鉄器
施釉陶器
輸入陶磁器
古瓦
|
特記事項 |
概要報告 |
|
遺跡名 |
筑後国分寺跡 第44次 |
遺跡名かな |
ちくごこくぶんじあと |
本内順位 |
8 |
遺跡所在地 |
久留米市国分町733-1外 |
所在地ふりがな |
くるめしこくぶまち733-1ほか |
市町村コード |
40203 |
遺跡番号 |
30618 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
331744 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1303210 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.295555 130.536111
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20060925-20060929
|
調査面積(㎡) |
43
|
調査原因 |
共同住宅建設に伴う確認調査 |
遺跡概要 |
種別 |
社寺
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
方形掘形 2基
地業痕跡 1基
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
古瓦
|
特記事項 |
|
|
|
要約 |
(筑後国府跡 第208次) 本調査は、国史跡に指定されいる国司館地区の南側隣接地において実施した重要遺跡確認調査である。調査では、8世紀中頃~9世紀代の遺構群を検出している。中でも特筆されるのは、国司館南区画の南側に隣接する南北半町規模の区画を検出したことである。その性格は不明である。また、国司館と新たな区画の東辺を南北走行する道路状遺構を検出した。調査区南側に位置する水場へ至るものと推測される。 (筑後国府跡 第211次) 本調査は、筑後国府域の中央を東西に縦貫する推定官道の遺構確認調査である。対象地に幅約3mのトレンチを設定して、道路状遺構の確認を実施したが、過去の調査から推測されるルート上で、その痕跡を確認することができた。道路状遺構は、上下2面検出され、大きく2時期の存在が確認できた。また、その施工方法が異なることも判明しているが、道路幅や敷設・廃絶時期の確定には至っていない。 (筑後国府跡 第212次) 本調査は第211次調査同様、筑後国府域の中央を東西に縦貫する推定官道の遺構確認調査である。対象地は約80mと東西に長く、その前面に推定官道の存在が予想された。調査では、約70mにわたり道路状遺構を検出し、上下2面の存在を確認している。2時期の存在が想定され、施工方法が異なることも第211次調査と同様に確認できた。過去の調査と勘案すれば、道路幅約10mが復元できる。敷設時期は8世紀代と想定されるが、詳細な時期は確定できなかった。また、廃絶時期は路面に道路に含まれる遺物から中世までの使用が想定できる。 (筑後国府跡 第213次) 調査地は、第210次調査で検出した「前身官衙」期の中心建物と思われる210SB1の南東約80mにあたり、その溝や柵列などの囲繞施設の存在が想定されたが、調査の結果、検出できなかった。しかし、「前身官衙」期、もしくはⅠ期政庁期に属すると思われる大型の東西棟掘立柱建物の一部分を2棟検出することができた。また、9世紀代の南北溝は、Ⅱ期政庁西側に区画施設の存在を示すものと思われる。 (筑後国府跡 第216次) 国史跡に指定されている国司館地区の南区画東辺には、第165次調査によって八脚門が検出されている。その前面には東方へ延びる道路状遺構が確認されている。この道路状遺構は、南東約0.7㎞に鎮座する味水御井神社へ向かっているものと想定されている。味水御井神社は筑後総社とも推定されており、国司館と総社を結ぶ道路である可能性も指摘されている。今回の調査では、大規模な地業を伴わない硬化面のみの道路状遺構が確認でき、想定ルート上における道路の存在を追認できた。 |