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国指定史跡筑後国府跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131850
引用表記 久留米市市民文化部文化財保護課 2022 『久留米市文化財調査報告書433:国指定史跡筑後国府跡』久留米市教育委員会
久留米市市民文化部文化財保護課 2022 『国指定史跡筑後国府跡』久留米市文化財調査報告書433
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ファイル
書名 国指定史跡筑後国府跡
発行(管理)機関 久留米市 - 福岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kurume.fukuoka.jp
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな くにしていしせき ちくごこくふあと
副書名 国司館地区1/筑後国府跡正式報告書 ; 3
巻次
シリーズ名 久留米市文化財調査報告書
シリーズ番号 433
編著者名
編集機関
久留米市市民文化部文化財保護課
発行機関
久留米市教育委員会
発行年月日 20220331
作成機関ID 40203
郵便番号 8308520
電話番号 0942309225
住所 福岡県久留米市城南町15番地3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 筑後国府跡 国司館地区
遺跡名かな ちくごこくふあと
本内順位
遺跡所在地 福岡県久留米市合川町字ギャクシ371番地1外
所在地ふりがな ふくおかけんくるめしあいかわまちあざぎゃくし371ばんち1ほか
市町村コード 40203
遺跡番号 30112
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331843
東経(世界測地系)度分秒 1303228
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.311944 130.541111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19780612-20100118
調査面積(㎡)
2729
調査原因 記録保存・遺構確認調査
遺跡概要
種別
官衙
時代
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物 10軒
掘立柱建物 19棟
柵列 2条
築地 4条
溝 1条
土坑 9基
道路遺構 2条
主な遺物
土師器
須恵器
施釉陶器
陶硯
輸入陶磁器
土製品
石製品
金属製品
古瓦
特記事項 筑後国府跡推定国司館地区のうち、柿ノ内・ギャクシ地区における未整理・未報告調査の再整理成果を報告。
9世紀後半代に存続し、4区画からなる国司館のうち、北・中央区画遺構群について出土遺物や遺構を検討・整理した。
要約  本書は、筑後国府跡Ⅱ期政庁期に伴う国司館が広がる、合川町柿ノ内・ギャクシ・風祭・井葉地区を対象とした37地点に及ぶ発掘調査のうち、柿ノ内・ギャクシ地区の発掘調査成果の本報告書である。
 この地区では、8世紀前半代に識字層をはじめ、Ⅱ期政庁造営に関わる者たちが居住したと考えられる竪穴建物群が散在する。その後しばらくの間、遺構の空白期となる。9世紀後半になると、周囲を築地、もしくは土塁で囲んだ3つの区画と、その南に隣接し、溝で囲まれた南北半町規模の区画の4区画からなる、国司館が成立する。柿ノ内・ギャクシ地区には、そのうちの北区画・中央区画が存在する。区画内部の発掘は一部に留まり、不明な点が多いが、中央区画は北側に大規模な東西棟建物を置き、東側に長大な南北棟建物、西側には小規模な建物が散在する。元慶4年(883)6月に発生した、筑後国守都御酉殺害事件により廃絶したと考えられる。その後、10世紀中頃に政庁が阿弥陀地区から朝妻地区へ移転すると、この地区には、館と南方の水源地を結ぶ南北道路が通過するのみという変遷がみられる。

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