奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41230 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132420 件
( 前年度比 + 1735 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120563 件
( 前年度比 + 1568 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

持田本村遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131139
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131139
引用表記 公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センター他 2023 『松山市文化財調査報告書210:持田本村遺跡』公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センター他
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センター他 2023 『持田本村遺跡』松山市文化財調査報告書210
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=慎一|last=宮内|first2=朋子|last2=大西|title=持田本村遺跡|origdate=2023-03-15|date=2023-03-15|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/131139|publisher=公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センター|location=愛媛県松山市南斎院町乙 67 番地 6|ncid=BD0148982X|doi=10.24484/sitereports.131139|series=松山市文化財調査報告書|volume=210}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 持田本村遺跡
発行(管理)機関 松山市 - 愛媛県
書名かな もちだほんむらいせ
副書名
巻次
シリーズ名 松山市文化財調査報告書
シリーズ番号 210
編著者名
編集機関
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センター
松山市教育委員会
発行機関
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センター
松山市教育委員会
発行年月日 20230315
作成機関ID 38201
郵便番号 7918032
電話番号 0899236363
住所 愛媛県松山市南斎院町乙 67 番地 6
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 持田本村遺跡
遺跡名かな もちだほんむらいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県松山市南町一丁目837番
所在地ふりがな えひめけんまつやましみなみまち
市町村コード 38201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 335045
東経(世界測地系)度分秒 1324651
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.845833 132.780833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150416-20150630
調査面積(㎡)
380
調査原因 マンション建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
古墳
江戸
主な遺構
竪穴建物
土坑
土壙墓
柱穴
自然流路
主な遺物
縄文土器
弥生土器
土師器
須恵器
陶磁器
土製品
石製品
特記事項 江戸前期の溝を検出。
要約  持田本村遺跡からは、縄文時代から江戸時代までの遺構・遺物を確認した。縄文時代は晩期中葉の土坑 8 基が検出され、土器片やチップが数多く出土した。弥生時代では土坑内から木葉文が描かれた弥生時代前期後半の小型壺が出土した。近隣の持田町 3 丁目遺跡からも同様の土壙墓が複数基検出されており、形状や出土遺物より本遺跡検出の土坑も一連の土壙墓と考えられる。また、同時期の溝からは径 20 ~ 30㎝大の河原石が列状に出土し、その下面にて完形の壺が出土している。
 古墳時代では、6 棟の竪穴建物を検出した。これらは中期後半から後期の建物で、カマドを付設する建物が 1 棟ある。古代から中世の遺構は未検出であるが、包含層中より 8 世紀前半の暗文を施した土師器皿が出土している。近世では、南北方向に延びる溝が注目される。幅 2.7 ~3.4 m、深さ 1.3 mの溝で、溝からは江戸時代初頭、17 世紀前半頃の陶磁器(唐津焼・志野焼等)が出土している。出土状況から溝の廃棄に伴い、これらの遺物を投棄したものと推測される。
 今回の調査により、遺跡や周辺地域における縄文時代集落の存在が明らかになり、江戸時代の始まり前後における当地一帯の状況が一部明らかとなった。今後は資料の増加に伴い、当地や周辺地域における集落様相や変遷の更なる解明を期待する。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 242
ファイルダウンロード数 : 190

全国のイベント

外部出力