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高屋条里遺跡・津森位遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/41134
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.41134
引用表記 香川県埋蔵文化財センター 2009 『高屋条里遺跡・津森位遺跡』香川県教育委員会
香川県埋蔵文化財センター 2009 『高屋条里遺跡・津森位遺跡』
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書名 高屋条里遺跡・津森位遺跡
発行(管理)機関 香川県教育委員会 - 香川県
書名かな たかやじょうりいせき つのもりくらいいせき
副書名 県道丸亀宅間豊浜線(観音寺工区)及び県道多度津丸亀線(丸亀工区)緊急地方道路整備工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
香川県埋蔵文化財センター
発行機関
香川県教育委員会
発行年月日 20091016
作成機関ID
郵便番号 762-0024
電話番号 0877-48-2191
住所 香川県坂出市府中町字南谷5001-4
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 高屋条里遺跡
遺跡名かな たかやじょうりいせき
本内順位 1
遺跡所在地 香川県観音寺市高屋町
所在地ふりがな かがわけんかんおんじしたかやちょう
市町村コード 37205
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340815.26
東経(世界測地系)度分秒 1333919.25
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.137572 133.655347
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20060901-20061130
調査面積(㎡)
1834
調査原因 県道丸亀宅間豊浜線
遺跡概要
種別
集落
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
土師質土器
特記事項
遺跡名 津森位遺跡
遺跡名かな つのもりくらいいせき
本内順位 2
遺跡所在地 香川県丸亀市津森町
所在地ふりがな かがわけんまるがめしつのもりちょう
市町村コード 37202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 341647
東経(世界測地系)度分秒 1334726
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.279722 133.790555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070901-20071031
調査面積(㎡)
2702
調査原因 県道多度津丸亀線
遺跡概要
種別
集落
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
土師質土器
青磁
古瀬戸
備前
特記事項
要約 (高屋条里遺跡)
 珪藻分析の結果、弥生時代後期の包含層の下位の層は、汽水環境で堆積したことが確かめられ、縄文海進時には海域であったことが判明した。南部の調査区は、財田川の自然堤防上から7世紀後半の規格的に配置された竪穴住居1・掘立柱建物2棟等を検出した。これは磁北方向を指向するもので、周辺に広がる条里型地割の方向とは異なるものである。
(津森位遺跡)
 調査区の東半部で古代の集落跡、西半部で中世の集落跡を検出した。古代の集落跡は8~10世紀のもので、竪穴住居が建てられなくなる最終段階の1棟を除くと掘立柱建物で構成される。また、飯蛸壺が多数含まれる方形の土坑を検出している。中世の集落跡は、中世後半のもので多数の柱穴が集中する。柱穴配置から復原される建物は小型のものが多いことが特徴である。

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