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福成寺旧境内遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31039
引用表記 (財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ− 1999 『文化財センター調査報告書22:福成寺旧境内遺跡発掘調査報告書』(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ−
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ− 1999 『福成寺旧境内遺跡発掘調査報告書』文化財センター調査報告書22
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ファイル
書名 福成寺旧境内遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 東広島市 - 広島県
書名かな ふくじょうじきゅうけいだいいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名 西条町下三永
巻次 1
シリーズ名 文化財センター調査報告書
シリーズ番号 22
編著者名
編集機関
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ−
発行機関
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ−
発行年月日 19990331
作成機関ID
郵便番号 739-0033
電話番号 0824-25-3880
住所 広島県東広島市西条町馬木541番地1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
情報源上に表示がないため、巻次は推定により補記
所収論文
所収遺跡
遺跡名 福成寺旧境内遺跡
遺跡名かな ふくじょうじきゅうけいだいいせき
本内順位
遺跡所在地 広島県東広島市西条町下三永
所在地ふりがな ひがしひろしましさいじょうちょうしもみなが
市町村コード 34212
遺跡番号 935
北緯(日本測地系)度分秒 342238
東経(日本測地系)度分秒 1324639
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.3805 132.7749
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19970501-19970731
調査面積(㎡)
330
調査原因 市道福成寺支線道路改良事業
遺跡概要
種別
社寺
時代
中世(細分不明)
主な遺構
基壇状遺構石垣
道路状遺構
階段状遺構
主な遺物
青磁(盤・香炉・碗)
天目茶碗
瀬戸焼
美濃焼
灰釉碗
特記事項 基壇状遺構 15世紀中頃の陶磁器
要約 [福成寺旧境内遺跡 要約]
今回の調査範囲は、広大な寺領を誇った福成寺旧境内遺跡の一端を垣間見ただけである。しかし、基壇状遺構や15世紀中頃の火災によって一括投棄されたと考えられる土器や陶磁器がみつかるなどの、多くの成果を得ることができた。  福成寺が火災にあったとされる5世紀中頃といえば、「応仁の乱」が有名であるが、ちょうどその頃、安芸国の福成寺において、何らかの要因で「大坊」が火災にあったようである。隆盛を極めた福成寺も『芸藩通志』が完成する文政8(1825)年までには周辺の坊は坊跡になっていたようである。本遺跡は、標高480mのほぼ山頂に位置する現在の福成寺を中心にして、周辺に数多くの堂と坊を配置する寺院であったと考えられる。平野部との標高差は約250mであり、現在では自動車という手段があるが、当時は谷底の狭い屈曲蛇行した登山道を徒歩で登るほかない難儀な道であったにもかかわらず、山頂部に広大な寺域を誇っていたのである。険しい山頂部に位置する山岳寺院において、優品の陶磁器を惜しげもなく使い、幾多の坊を点在させていた福成寺の繁栄ぶりを想像させるに十分な資料に恵まれたと思われる。????

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