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城平山城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24851
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.24851
引用表記 (財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2009 『財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書29:城平山城跡』(財)広島県教育事業団
(財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2009 『城平山城跡』財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書29
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書名 城平山城跡
発行(管理)機関 (公財)広島県教育事業団 - 広島県
書名かな じょうひらやまじょうあと
副書名
巻次
シリーズ名 財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書
シリーズ番号 29
編著者名
編集機関
(財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
発行機関
(財)広島県教育事業団
発行年月日 20090319
作成機関ID
郵便番号 733-0036
電話番号 082-295-5751
住所 広島県広島市西区観音新町4丁目8番49号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 城平山城跡
遺跡名かな じょうひらやまじょうあと
本内順位
遺跡所在地 広島県呉市焼山西3丁目
所在地ふりがな ひろしまけんくれしやけやまにし3ちょうめ
市町村コード 34202
遺跡番号 34202-94
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 341746
東経(世界測地系)度分秒 1323316
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.296111 132.554444
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070416-20070528
調査面積(㎡)
810
調査原因 都市計画道路焼山押込線街路改良事業
遺跡概要
種別
城館
時代
戦国
主な遺構
平坦面4
土橋状遺構1
土坑1
性格不明遺構3
主な遺物
石板
土師質土器
陶磁器
特記事項 臨時的な施設
要約 [城平山城跡 要約]
 城平山城跡は、二河川の西側丘陵の尾根上に立地する。周囲との比高は約15mで、焼山の町を見渡すことができる。東は郷原、西は天応、南は呉・吉浦、北は熊野へ通じる交通の要衝に位置し、特に天応へと通じる道は眼下を通る。調査の結果、4つの平坦面、土橋状遺構1、土坑1、性格不明遺構2を検出した。平坦面は最高所に平坦面1があり、南へ順次並ぶ。平坦面2は、二度にわたる造成が確認できた。平坦面3は最も広く、平坦面4は最下部にある。土橋状遺構は、平坦面1の北側背後を堀切状に掘り込みつつも東側に通路を確保したものである。出土遺物は近世の土器類が大半を占め、ほとんどが土坑から出土した。遺物の出土状況から平坦面4と土坑、性格不明遺構の1つは近世以降の造成といえる。その他の遺構には遺物がほとんどなく、城に伴う建物等の痕跡もないが、交通の要衝に位置していることから見張りを主目的とした臨時的な施設であったと考えられ、小規模城の様相や村落の歴史を考える上で参考となる資料である。 

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