奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41247 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132429 件
( 前年度比 + 1744 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

金井原遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24850
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.24850
引用表記 (財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2009 『財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書28:金井原遺跡発掘調査報告書』(財)広島県教育事業団
(財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2009 『金井原遺跡発掘調査報告書』財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書28
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=健治|last=梅本|title=金井原遺跡発掘調査報告書|origdate=2009-03-31|date=2009-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/24850|location=広島県広島市西区観音新町4丁目8番49号|ncid=BA89837248|ncid=AA12457133|doi=10.24484/sitereports.24850|series=財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書|volume=28}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 金井原遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)広島県教育事業団 - 広島県
書名かな かねいばらいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書
シリーズ番号 28
編著者名
編集機関
(財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
発行機関
(財)広島県教育事業団
発行年月日 20090331
作成機関ID
郵便番号 733-0036
電話番号 082-295-5751
住所 広島県広島市西区観音新町4丁目8番49号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 金井原遺跡
遺跡名かな かねいばらいせき
本内順位
遺跡所在地 広島県世羅郡世羅町大字川尻字大仙山
所在地ふりがな ひろしまけんせらぐんせらちょうおおあざかわしりあざだいせんやま
市町村コード 34462
遺跡番号 34461-150
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343342
東経(世界測地系)度分秒 1330717
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.561666 133.121388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20051121-20060120
20060828-20061110
調査面積(㎡)
1300
2560
調査原因 一般国道432号道路改良工事
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居跡5
住居跡状遺構2
掘立柱建物跡9
墓坑10
土坑4
溝状遺構3
柵跡7
性格不明遺構2
単独柱穴5
主な遺物
弥生土器
石器(太型蛤刃石斧・抉入柱状片刃石斧・石包丁・石鏃・石錐)
土器片紡錘車
管玉
縄文土器(深鉢)
特記事項 集落と墓地の近接,石鏃製作土坑の存在,住居からの土器片紡錘車の集中的出土,墓坑・住居からの石鏃の集中的出土
要約 [金井原遺跡 要約]
 金井原遺跡は、広島県中央部の世羅郡世羅町にある。世羅台地を東流する芦田川南岸の南から北に延びる丘陵緩斜面に立地する弥生時代中期前葉〜中葉の集落跡で、近接する居住域と墓坑群を検出した。北東-南西方向に長い調査区の北東側に木棺墓9基などからなる墓坑群、南西側に竪穴住居跡5軒、住居跡状遺構2軒、掘立柱建物跡9棟、柵跡7条などで構成される居住域が位置する。竪穴住居は建て替えが顕著な大型住居2軒(SB1・2)と単一時期的な小型住居3軒で、同時存在住居は大型住居1軒+小型住居1〜3軒と考えられる。小型住居SB5は2本柱で、ほかの住居は多柱穴で、いずれも円形住居である。大型住居はいずれも炉跡の位置に石鏃未成品や剥片・チップが出土する石器製作に関連する土坑をもち、住居内からは弥生土器のほかに、石鏃・土器片紡錘車が多数出土した。SB2からは太型蛤刃石斧・抉入柱状片刃石斧・磨製石包丁なども出土した。倉庫とみられる掘立柱建物跡は桁行1〜4間、梁行1〜2間のもので、L字状の溝を伴うものや入口をもつ建物も存在する。木棺墓は等高線に沿って列状に並び、木棺の推定規模は長さ45〜60cmの小児墓と長さ100〜130cmの屈肢葬の成人墓があり、後者からは石鏃10〜12点が集中的に出土したSK5・6がある。本集落は生産基盤である水田跡は見つかっていないが、墓域と居住域がセットでみつかった弥生時代中期の集落跡として貴重な調査成果を得ることができた。 

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 331
ファイルダウンロード数 : 308

全国のイベント

外部出力