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岡山城二の丸跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70119
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70119
引用表記 岡山県古代吉備文化財センター 2018 『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告245:岡山城二の丸跡』岡山県教育委員会
岡山県古代吉備文化財センター 2018 『岡山城二の丸跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告245
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書名 岡山城二の丸跡
発行(管理)機関 岡山県教育委員会 - 岡山県
書名かな おかやまじょうにのまるあと
副書名 警察本部庁舎整備事業に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告
シリーズ番号 245
編著者名
編集機関
岡山県古代吉備文化財センター
発行機関
岡山県教育委員会
発行年月日 20180316
作成機関ID
郵便番号 7008570
電話番号 0862242111
住所 岡山県岡山市北区内山下2-4-6
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 岡山城二の丸跡
遺跡名かな おかやまじょうにのまるあと
本内順位
遺跡所在地 岡山県岡山市北区内山下2-4-6
所在地ふりがな おかやまけんおかやましきたくうちさんげ
市町村コード 33101
遺跡番号 332012292
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343940
東経(世界測地系)度分秒 1335604
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.661111 133.934444
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170104-20170430
調査面積(㎡)
798
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
城館
時代
安土桃山
江戸
主な遺構
柱穴列
土坑
主な遺物
国産陶磁器
輸入磁器
炻器
土器
瓦類
土製品
石製品
木製品
ガラス製品
骨製品
金属製品
特記事項 侍屋敷
要約  現在の岡山市街地は、宇喜多秀家によって始められその後小早川氏、池田市へと受け継がれた岡山城下の整備を基礎としている。調査地は、江戸時代の城下絵図によると、岡山城二の丸の一角で家老職にある重臣や上級武士が居住する屋敷街に当たる。調査では、上層で江戸時代初頭から幕末までの侍屋敷を検出し、下層で宇喜多期の城を確認した。
 上層の遺構のうち、調査区中央を東西に走る石組溝2条は道の両側溝と考えられ、江戸時代初頭に構築したものを改変しながら幕末まで継承していることがわかった。これらの成果は、絵図に描かれた道を確認したことと、城下整備の変遷をとらえらことで重要である。
 下層で検出した堀は、北から西に向かって鍵形に折れ曲がる形状で、東西方向幅で11m以上、南国方向幅で27m以上を測る。堀の西岸肩口に最大高約0.9mを測る石積を築くが、以下は素掘りとなる。その埋土最下層の出土遺物から、堀は宇喜多期に機能し、屋敷地割りの行われた江戸時代初期までに廃絶したことが判明した。これは、初期岡山城下の成り立ちを考える上で貴重な成果である。

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