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清水川御崎前遺跡・福成大坪上遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/20994
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.20994
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2014 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書4:清水川御崎前遺跡・福成大坪上遺跡』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2014 『清水川御崎前遺跡・福成大坪上遺跡』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書4
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ファイル
書名 清水川御崎前遺跡・福成大坪上遺跡
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな しみずがわみさきまえいせき・ふくなりおおつぼかみいせき
副書名 一般国道180号(南部バイパス)道路改良工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次 3
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 4
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20140331
作成機関ID 31202
郵便番号 6830011
電話番号 0859260455
住所 鳥取県米子市福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 清水川御崎前遺跡
遺跡名かな しみずがわみさきまえいせき
本内順位 清水川御崎前遺跡・福成大坪上遺跡1区・福成大坪上遺跡2・3区
遺跡所在地 鳥取県西伯郡南部町清水川ほか
所在地ふりがな とっとりけんさいはくぐんなんぶちょうしみずがわほか
市町村コード 31389
遺跡番号 652
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352156
東経(世界測地系)度分秒 1332035
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.365555 133.343055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100914-20101112
20110801-20111129
20120516-20120925
調査面積(㎡)
5700
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
弥生
古墳
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
落し穴
土坑
畦畔
主な遺物
縄文土器
弥生土器
土師器
須恵器
陶磁器
石製品
金属製品
木製品
埴輪
特記事項 遺跡名:清水川御崎前遺跡・福成大坪上遺跡
遺跡名かな:しみずがわみさきまえいせき・ふくなりおおつぼかみいせき
要約 清水川御崎前遺跡と福成大坪上遺跡は、丘陵裾部の標高23~25mに位置する。調査の結果、縄文時代から近代にかけての遺構、遺物を検出した。縄文時代は落し穴と土坑を各1基検出した。弥生時代中期後葉には、尾根状地形に沿うように溝状遺構が巡り、さらに、同じ位置に複数回掘り替えられていた。古墳時代後期と中世には水田の存在が推定され、花粉分析の結果から、稲作とともにソバ属とアブラナ科などの畑作が行われていたと考えられる。平安時代には畦畔と水路と考えられる溝状遺構を検出したことから、水田の存在が示唆される。近世から近代にかけては水路を検出しており、水田として利用されたと考えられる。また、時期は特定できなかったが、地震の痕跡を確認した。

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