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溝咋遺跡(その3・4)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/30443
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.30443
引用表記 財団法人大阪府文化財調査研究センター 2000 『財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書50:溝咋遺跡(その3・4)』財団法人大阪府文化財調査研究センター
財団法人大阪府文化財調査研究センター 2000 『溝咋遺跡(その3・4)』財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書50
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ファイル
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書名 溝咋遺跡(その3・4)
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな みぞくいいせき(そのさん・よん)
副書名 茨木・学園町地区埋蔵文化財発掘調査3次・4次報告書
巻次
シリーズ名 財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書
シリーズ番号 50
編著者名
編集機関
財団法人大阪府文化財調査研究センター
発行機関
財団法人大阪府文化財調査研究センター
発行年月日 20000331
作成機関ID
郵便番号 5360016
電話番号 0669346651
住所 大阪府大阪市城東区蒲生2-11-3 小森ビル4階
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 溝咋遺跡
遺跡名かな みぞくいいせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府茨木市学園町
所在地ふりがな おおさかふいばらきしがくえんまち
市町村コード 27211
遺跡番号 51
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344903
東経(世界測地系)度分秒 1353523
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.8175 135.589722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19970901-19960125
19990621-19970713
調査面積(㎡)
6472
92
調査原因 集合住宅建築に伴う
遺跡概要
種別
田畑
時代
弥生
主な遺構
木棺墓
主な遺物
弥生土器
石庖丁
特記事項 主な時代:弥生中期後半
種別
集落
田畑
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
主な遺物
土師器
須恵器
韓式系軟質土器
製塩土器
滑石製品
未製品
原石(結晶片石)
石製品
土製品
木製品
銅製耳環
特記事項 主な時代:古墳前期~後期
種別
集落
田畑
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
坪境溝
主な遺物
土師器
須恵器
瓦器
青磁
白磁
灰釉陶器
銭貨
馬鍬の歯
特記事項
要約 ・古墳時代前期から中・後期にかけて、集落の中心が移動していたことが判明。具体的には北方集落から南方集落への移動。竪穴建物主体の集落から掘立柱建物主体の集落へと移行するが、両者が共存していた時期があったことも考慮が必要。南方集落では、滑石の加工が行われている。
・同時期には、水田域のひろがりがみとめられる。西北から東南へとゆるやかに降る地盤に沿って、水田の大畦畔は等高線にほぼ直交するように設定されている。
・庄内式期には東部瀬戸内地方から搬入された二重口縁壺が多い。また、結晶片岩が多く出土しており、これら土器とともに搬入された可能性が指摘できる。
・弥生時代中期後半の墓域とともに水田跡を検出。

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