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了安寺遺跡・尊光寺遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25559
引用表記 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2007 『ほ場整備関係(経営体育成基盤整備)遺跡発掘調査報告書34-1:了安寺遺跡・尊光寺遺跡』滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2007 『了安寺遺跡・尊光寺遺跡』ほ場整備関係(経営体育成基盤整備)遺跡発掘調査報告書34-1
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ファイル
書名 了安寺遺跡・尊光寺遺跡
発行(管理)機関 滋賀県埋蔵文化財センター - 滋賀県
書名かな りょうあんじいせき・そんこうじいせき
副書名 湖南市夏見・平松
巻次
シリーズ名 ほ場整備関係(経営体育成基盤整備)遺跡発掘調査報告書
シリーズ番号 34-1
編著者名
編集機関
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
財団法人滋賀県文化財保護協会
発行機関
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
財団法人滋賀県文化財保護協会
発行年月日 20070300
作成機関ID
郵便番号 520-2122
電話番号 077-548-9780
住所 滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 了安寺遺跡
遺跡名かな りょうあんじいせき
本内順位
遺跡所在地 滋賀県湖南市夏見
所在地ふりがな しがけんこなんしなつみ
市町村コード 252115
遺跡番号 362-039
北緯(日本測地系)度分秒 345929
東経(日本測地系)度分秒 1360534
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.9946 136.0899
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20040705-20060331
調査面積(㎡)
4526
調査原因 ほ場整備(経営体育成基盤整備)
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
鎌倉
主な遺構
掘立柱建物
柱列
ピット
主な遺物
土師器
黒色土器
瓦器
灰釉陶器
白磁
特記事項
遺跡名 尊光寺遺跡
遺跡名かな そんこうじいせき
本内順位
遺跡所在地 滋賀県湖南市平松
所在地ふりがな しがけんこなんしひらまつ
市町村コード 252115
遺跡番号 362-050
北緯(日本測地系)度分秒 350010
東経(日本測地系)度分秒 1360435
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.006 136.0735
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20060508-20070331
調査面積(㎡)
475
調査原因 ほ場整備(経営体育成基盤整備)
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
古代(細分不明)
主な遺構
旧河道
主な遺物
弥生土器
須恵器
特記事項
要約 [了安寺遺跡 要約]
平安時代後半の10世紀末から11世紀前半頃に土地利用が本格化した地点である。当初は旧東海道に沿って形成された集落的要素のあるエリアとして利用され始め、12世紀にはその範囲を広げている。そして、13世紀の鎌倉時代には利用範囲をより西側に広げ、そこを耕作地として利用するに至った。 
[尊光寺遺跡 要約]
2条の旧河道を検出し、弥生土器・須恵器が出土した。周辺に集落や古墳の存在を示唆する。 

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