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大久保遺跡(第3次)発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/19650
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.19650
引用表記 三重県埋蔵文化財センター 2017 『三重県埋蔵文化財調査報告372:大久保遺跡(第3次)発掘調査報告』三重県埋蔵文化財センター
三重県埋蔵文化財センター 2017 『大久保遺跡(第3次)発掘調査報告』三重県埋蔵文化財調査報告372
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書名 大久保遺跡(第3次)発掘調査報告
発行(管理)機関 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
有償頒布・配布ページ https://dps-ec.com/
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな おおくぼいせき(だい3じ)はっくつちょうさほうこく
副書名 三重郡菰野町潤田
巻次
シリーズ名 三重県埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 372
編著者名
編集機関
三重県埋蔵文化財センター
発行機関
三重県埋蔵文化財センター
発行年月日 20170317
作成機関ID
郵便番号 5150325
電話番号 0596521732
住所 三重県多気郡明和町竹川503
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大久保遺跡 第3次
遺跡名かな おおくぼいせき
本内順位
遺跡所在地 三重県三重郡菰野町潤田
所在地ふりがな みえけんみえぐんこものちょううるだ
市町村コード 24341
遺跡番号 85
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350133
東経(世界測地系)度分秒 1363025
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.025833 136.506944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
2015087-20151207
調査面積(㎡)
1832
調査原因 平成27年 度一般国道477号線四日市湯の山道路整備(改築)事業
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
鎌倉
主な遺構
掘立柱建物
柱列
土坑  
主な遺物
土師器
黒色土器
山茶碗
陶器
砥石
特記事項
要約 平安時代末から鎌倉時代前期にかけての掘立柱建物、溝、土坑などが検出された。掘立柱建物のうち2棟は大型の総柱建物である。この2棟の建物の内部からは土坑が検出されている。溝には排水を目的に掘られたと考えられるものがあり、調査区西側の落ち込みに向かって急激に深くなる。この溝は、集落における区画の役割を果たしていた可能性もある。遺物としては、土師器、黒色土器、山茶碗、陶器、砥石などが出土した。
当遺跡付近には「潤田御厨」という伊勢神宮の神領が置かれていたとされるが、実態は不明である。集落の消長や立地などを踏まえると、今回の調査で検出された集落は中世前期の土地開発と関わる集落と推定され、潤田御厨とも何らかの関係があった可能性が考えられる。
また、縄文時代後期から晩期にかけての土器や石器も出土している。ただし、縄文時代に属する明確な遺構は確認できなかった。

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