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朝見遺跡(第5次)発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129207
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129207
引用表記 三重県埋蔵文化財センター 2022 『三重県埋蔵文化財調査報告401:朝見遺跡(第5次)発掘調査報告』三重県埋蔵文化財センター
三重県埋蔵文化財センター 2022 『朝見遺跡(第5次)発掘調査報告』三重県埋蔵文化財調査報告401
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書名 朝見遺跡(第5次)発掘調査報告
発行(管理)機関 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
有償頒布・配布ページ https://dps-ec.com/
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな あさみいせき(だい5じ)はっくつちょうさほうこく
副書名
巻次
シリーズ名 三重県埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 401
編著者名
編集機関
三重県埋蔵文化財センター
発行機関
三重県埋蔵文化財センター
発行年月日 20220314
作成機関ID 24000
郵便番号 5150325
電話番号 0596521732
住所 三重県多気郡明和町竹川503
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 朝見遺跡(第5次)
遺跡名かな あさみいせき
本内順位
遺跡所在地 松阪市立田町 ・和屋町
所在地ふりがな まつさかしたつたちょう・わやちょう
市町村コード 24204
遺跡番号 a838
北緯(日本測地系)度分秒 343333
東経(日本測地系)度分秒 1363444
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.5625 136.576
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140422-20150218
調査面積(㎡)
9996
調査原因 ほ場整備
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
鎌倉
主な遺構
埋積浅谷
土坑
炉跡
埋設土器
方形周溝墓
掘立柱建物
井戸
自然流路
主な遺物
土器
石器
陶磁器
金属製品
木製品
特記事項
要約  朝見遺跡は櫛田川左岸の自然堤防帯に位置し、平安時代の重要遺物が多数出土したことで知られている。付近には条里景観がよく残っている。ほ場整備に伴い9ヶ所の調査区を設定し、縄文時代から鎌倉時代の遺構を検出した。なお、縄文時代の遺物包含層・遺構は、弥生時代~中世遺構面の下層で確認した。
 縄文時代の遺構・遺物は1・6区に集中しており、付近に中期末~後期前葉の集落が存在したと考えられ、馬の背状に延びる微高地と、その縁辺の水場付近を利用していた可能性が高い。弥生時代は1・6区で後期後半~終末期の方形周溝墓がみられ、瀬干遺跡から連続する墓域があったとみられる。
 平安時代は、3区の大溝から青銅鏡が2面出土した。水辺の農耕祭祀に供された儀鏡とみられ、鏡の製作年代は10世紀後半に比定できる。その他、7区で10世紀前半の二面庇建物を中心とする掘立柱建物群を確認した。ピットは一辺約1mの方形で、建物の配置や短期で廃絶する点から、居館的な性格が想定される。なお、5・6・9区にも同様の大型ピットをもつ建物が確認でき、遺構の空白地を挟みながら広範囲に大型建物が展開することが明らかになった。
 このような遺構の分布は、大規模な荘園や勅旨田のような耕地開発拠点を想起させるものであり、遺跡の性格や条里制の展開を知る上で重要な成果が得られた。

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