奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41485 件
( 発行機関数 759 機関 )
現在の書誌登録数
132562 件
( 前年度比 + 1888 件 )
( 発行機関数 1918 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147727 件
( 前年度比 + 2285 件 )
現在の文化財論文件数
120638 件
( 前年度比 + 1645 件 )
現在の文化財動画件数
1314 件
( 前年度比 + 130 件 )
( 登録機関数 118 機関 )
文化財イベント件数
1263 件
( 前年度比 + 214 件 )
※過去開催分含む

吉田城址

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122768
引用表記 豊橋市教育委員会 2020 『豊橋市埋蔵文化財調査報告書153:吉田城址』豊橋市教育委員会 教育部美術博物館 文化財センター
豊橋市教育委員会 2020 『吉田城址』豊橋市埋蔵文化財調査報告書153
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=剛|last=岩原|first2=久|last2=中川|title=吉田城址|origdate=2020-03-23|date=2020-03-23|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/122768|location=豊橋市松葉町三丁目1番地|ncid=BC01901846|series=豊橋市埋蔵文化財調査報告書|volume=153}} 閉じる
ファイル
書名 吉田城址
発行(管理)機関 豊橋市 - 愛知県
有償頒布・配布ページ http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=1469
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな よしだじょうし
副書名
巻次 16
シリーズ名 豊橋市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 153
編著者名
編集機関
豊橋市教育委員会
発行機関
豊橋市教育委員会 教育部美術博物館 文化財センター
発行年月日 20200323
作成機関ID 23201
郵便番号 4400897
電話番号 0532566060
住所 豊橋市松葉町三丁目1番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 吉田城址 第49次
遺跡名かな よしだじょうし
本内順位
遺跡所在地 豊橋市今橋町3番地1
所在地ふりがな とよはししいまはしちょう3ばんち1
市町村コード 23201
遺跡番号 790393
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344610
東経(世界測地系)度分秒 1372355
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.769444 137.398611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170105-20170330
調査面積(㎡)
2000
調査原因 豊橋市陸上競技場メインスタンド改修工事
遺跡概要
種別
城館
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
掘立柱建物跡
井戸
道路遺構
主な遺物
須恵器
灰釉陶器
土師器
山茶碗
陶器
磁器
木製品
金属器
特記事項 吉田城址は、東三河を代表する城館址である。調査では近世の道路遺構や武家屋敷地の遺構が検出されたほか、古代の井戸や土坑群などが検出された。
要約  今回の報告は、吉田城址の第49次調査に該当し、豊橋市陸上競技場のメインスタンド改修工事に伴う緊急発掘調査である。調査区は長さ120m、幅16mの長大な形状を呈している。
 旧スタンドの基礎や、軍隊設置時代の掘削により調査区の3割ほどは攪乱を受けていたが、全体的に高い密度で遺構は検出されている。調査区が南北に長いため、場所によって帰属時期にまとまりが見られ、調査区の北側一帯で古代から中世前期初頭の遺構が、南端付近で中世前期の遺構が集中して検出された。また、調査区を横断するかたちで近世の道路遺構とそれに伴う側溝や柵(塀)跡が検出され、道路を挟んで北側と南側が個別の武家屋敷地であると判明した。
 古代の遺構は奈良時代のものもあるが、主体は灰釉陶器を伴う平安時代中期のものである。不整形な土坑群が集中する箇所は廃棄土坑群と考えられ、多数の遺物が出土している。さらに平安時代後期まで継続して使用された大型の井戸からは、埋め戻しの段階で多量の土器が廃棄された状態で出土した。吉田城址は古代の遺跡である飽海遺跡と重複しており、渥美郡衙の比定地である。さらに平安時代中・後期にはこの付近に伊勢神宮領の飽海神戸が設定されており、これらはその両者に伴う遺構群と考えられる。
 また、近世の道路遺構は武家屋敷地を東西に貫く川毛通の跡で、その北側は幕末の松平甚右衛門邸及び新井彦左衛門邸、南側には倉垣源左衛門邸に該当する。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 210
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力