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天間沢遺跡第45地区

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71160
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.71160
引用表記 富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2019 『富士市埋蔵文化財調査報告65:天間沢遺跡第45地区』富士市教育委員会
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2019 『天間沢遺跡第45地区』富士市埋蔵文化財調査報告65
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書名 天間沢遺跡第45地区
発行(管理)機関 富士市 - 静岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0403/fmervo000000aysq.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな てんまざわいせき だい45ちく
副書名
巻次
シリーズ名 富士市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 65
編著者名
編集機関
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課)
発行機関
富士市教育委員会
発行年月日 20190228
作成機関ID 222101
郵便番号 4178601
電話番号 0545552875
住所 静岡県富士市永田町1丁目100番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 天間沢遺跡 第45地区
遺跡名かな てんまざわいせき
本内順位
遺跡所在地 富士市天間1000-1
所在地ふりがな ふじしてんま
市町村コード 222101
遺跡番号 7
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 351233.29
東経(世界測地系)度分秒 1383841.42
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.209247 138.644838
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170509-20170510
20170619-20170810
調査面積(㎡)
46.840
271.699
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴建物跡
埋甕土坑
土坑
ピット
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項
要約  天間沢遺跡は、富士山麓南西に位置する縄文時代を中心とした集落遺跡である。東西には天間沢と福泉川が流下し、遺跡の北部には新富士火山旧期の大渕溶岩流が広がる。その下には不透水層である古富士泥流が遺跡全体に広く分布しており、そのため遺跡の付近にはかつて数か所の湧水点が存在したとされている。こうした良好な環境であったことが、集落形成の要因になったと考えられる。
 天間沢遺跡に人間の活動痕跡がみられるのは、縄文時代早期からである。遺跡南部にあたる天間まちづくりセンター付近で茅山下層式土器が出土しており、この時期から人々が天間地区で暮らし始めたと考えられる。中期に入ると、集落の主体は遺跡中心部に移動する。竪穴住居跡や埋甕土坑、配石遺構等が確認されており、集落はこの時期に最盛期を迎えている。後期の様相については、現段階では判然としない部分も多いが、称名寺式や堀之内式に帰属する土器も出土していることから、集落規模は縮小しながらも、この時期まで人間が生活していた可能性がある。
 本書において報告する第45地区は、確認調査と本調査を合わせて6軒の竪穴建物跡と1基の埋甕土坑、240基の土坑・ピットを検出した。竪穴建物跡の時期はいずれも中期に属すると考えられる。土器は勝坂式を中心とし、曽利式の前半期のものも出土している。過去に当該地付近で行われた調査においても、これと類似した結果が得られていることから、調査地一帯は中期集落の中心地のひとつであったと推定できる。

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