鈴川の富士塚

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71159
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.71159
引用表記 富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2018 『富士市文化財調査報告書6:鈴川の富士塚』富士市教育委員会
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2018 『鈴川の富士塚』富士市文化財調査報告書6
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書名 鈴川の富士塚
発行(管理)機関 富士市 - 静岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0403/fmervo000000aysq.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな すずかわのふじづか
副書名
巻次
シリーズ名 富士市文化財調査報告書
シリーズ番号 6
編著者名
編集機関
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課)
発行機関
富士市教育委員会
発行年月日 20180331
作成機関ID 222101
郵便番号 4178601
電話番号 0545552875
住所 静岡県富士市永田町1丁目100番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
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備考
所収論文
タイトル 富士塚周辺の礫群について
英語タイトル
著者
山本 玄珠
ページ範囲 27 - 30
NAID
都道府県 静岡県
時代
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類)
学問種別 地質学
テーマ 素材分析
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抄録(内容要約) 富士塚の礫は富士登山の前に海岸の礫を拾ってきて、砂山に積んでケルン状としたと言い伝えられている。それを証明するため、現在の海岸の礫と富士塚の礫の比較を行った。
富士川河口から千本浜まで続く、富士川系の南アルプスを構成する礫が主であることがわかり、浜から浜礫を運んできて、富士塚に積んだ可能性が非常に大きいと考えられる。
タイトル 吉原湊をめぐる中世遺跡の概要
英語タイトル
著者
池谷 初恵
ページ範囲 31 - 42
NAID
都道府県 静岡県
時代 中世(細分不明)
文化財種別
史跡・遺跡種別 集落 交通
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ 制度・政治 流通・経済史
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抄録(内容要約) 本稿では、中世陶磁器の分析を行い、富士市および周辺地域の遺跡の消長、分布を整理した。
タイトル 歴史資料にみる富士塚
英語タイトル
著者
大高 康正
ページ範囲 43 - 54
NAID
都道府県 静岡県
時代
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類)
学問種別 文献史学
テーマ
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抄録(内容要約) 鈴川の富士塚(あるいは周辺の砂山上の塚の存在を含め)を記録上最初に確認できるものは、やはり近世江戸時代の『田子の古道』を待たねばならない。そういった状況の中で、この節では富士塚が形成されることになる背景として、それ以前の中世から吉原宿(元吉原)周辺が富士山信仰とどう関わりあいをもっていたのかについて、整理を行った。
タイトル 地誌とビジュアルメディアから鈴川の富士塚の実像を探る
英語タイトル
著者
井上 卓哉
ページ範囲 55 - 68
NAID
都道府県 静岡県
時代 江戸 明治 大正 昭和
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類)
学問種別 文献史学
テーマ
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引用表記
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抄録(内容要約)  本論では、鈴川の富士塚の実像を探ることを目的に、地誌類に記された言説及び、登山絵図・絵葉書・空中写真というビジュアルメディアから分析をおこなった。その結果として、富士山へ登る道者が安全祈願のために石を積んだという習俗は、江戸時代の初期にはすでに失わ
れていた可能性が明らかとなった。
現在の鈴川の富士塚は新たに造成されたもので、史跡としての評価は今後慎重に検討しなければならないが、その造成により、富士山信仰にまつわる場所であったということや、富士山を美しく眺めることのできる名所であったことに対する再認識がおこなわれ、それが現在に至っているという点では、ある種の記憶装置として重要な価値を有しているともいえる。
タイトル 富士塚と民俗
英語タイトル
著者
松田 香代子
ページ範囲 69 - 84
NAID
都道府県 静岡県
時代
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類)
学問種別 民俗学
テーマ
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抄録(内容要約) なぜこの吉原湊に富士塚を築き、そこを出発点として富士登拝をめざしたのか。そして、なぜ鈴川の浜で垢離を取って石を拾い、塚に積んで富士禅定の無事を祈ったのか。、その民俗的背景を明らかにし、鈴川における富士塚の発生と富士山信仰の変遷、富士塚の民俗的意義について考察。
所収遺跡
遺跡名 富士塚遺跡
遺跡名かな ふじづかいせき
本内順位
遺跡所在地 富士市鈴川西町628-496外
所在地ふりがな ふじしすずかわにしちょう
市町村コード 222101
遺跡番号 118
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350822.85
東経(世界測地系)度分秒 1384207.91
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.13968 138.702197
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080805-20080806
20090623-20090630
20151208-20160121
20170703-20170727
調査面積(㎡)
29
8
23
調査原因 確認調査
遺跡概要
種別
祭祀
時代
江戸
主な遺構
自然低丘
主な遺物
陶磁器
鉄製品
特記事項
要約  富士塚遺跡は北に富士山を望み、駿河湾に隣接する田子の浦砂丘上に位置する富士山信仰に関連する遺跡である。富士塚は江戸時代の地誌には、富士山登拝前に石を積み上げ、安全を祈願したと記載されている。
 確認調査の結果、昭和51年に復元された埋土下に、地上高2.60mほどの自然低丘が確認された。周辺に散在する礫は分析の結果、周辺の海岸から持ち込まれた可能性が高いことから、塚は本来、自然低丘に石を積み上げたものと確認された。
 出土遺物資料は少ないものの、18世紀中頃の肥前焼の碗が出土した。
 「鈴川の富士塚」は富士講成立以前、中世に成立したものと考えられ、江戸時代初めに本来の信仰形態は断絶したと考えられるが、江戸時代中期に浅間宮を勧請し、吉原湊を管理する各村で信仰されていた。
 また、富士山本宮浅間大社の儀礼場とされていた。明治~昭和初期に、再び本来の信仰形態が復活したが、塚が復元される昭和51年までは再び断絶していた。復元以後は、地域の広場として整備され、数多くの人々が訪れている。

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