浜松城跡14

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/142690
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.142690
引用表記 浜松市教育委員会 2021 『浜松城跡14』浜松市教育委員会
浜松市教育委員会 2021 『浜松城跡14』
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書名 浜松城跡14
発行(管理)機関 浜松市 - 静岡県
書名かな はままつじょうあと14
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
浜松市教育委員会
発行機関
浜松市教育委員会
発行年月日 20210326
作成機関ID 22130
郵便番号 4308652
電話番号 0534572466
住所 浜松市中区元城町103-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 浜松城跡 第33次
遺跡名かな はままつじょうあと
本内順位
遺跡所在地 静岡県浜松市中区紺屋町
所在地ふりがな しずおかけんはままつしなかくこうやまち
市町村コード 22131
遺跡番号 1-04-14
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344230.53
東経(世界測地系)度分秒 1374336.80
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.70848 137.726888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200416-20200501
調査面積(㎡)
200
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
明治
大正
主な遺構
堀跡
掘立柱建物
柱穴列
土坑
主な遺物
土師器
陶磁器
特記事項 三の丸南西部で掘立柱建物や土坑・溝を確認した。
大手門西側の堀跡を検出し、堀西側肩部と部分的に堀底を確認した。
遺跡名 浜松城跡 第34次
遺跡名かな はままつじょうあと
本内順位
遺跡所在地 静岡県浜松市中区紺屋町
所在地ふりがな しずおかけんはままつしなかくこうやまち
市町村コード 22131
遺跡番号 1-04-14
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344229.31
東経(世界測地系)度分秒 1374336.73
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.708141 137.726869
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200615-20200902
調査面積(㎡)
389
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
明治
大正
主な遺構
堀跡
掘立柱建物
柱穴列
土坑
主な遺物
土師器
陶磁器
特記事項 三の丸南西部で掘立柱建物や土坑・溝を確認した。
大手門西側の城跡を検出し、堀西側肩部と部分的に堀底を確認した。
要約  浜松城跡は、浜松市中区元城町に天守台や石垣を有する平山城である。今まで工事立会や不時発見等を含め50回以上の調査が行われている。
 今回の調査は、浜松城跡南端部に位置する三の丸南西部(33次調査)と大手門西側の堀部(34次調査)で行われた。33次調査では近世~近代の堀立柱建物・土坑・溝等を確認した。34次では大手門西側の堀跡(SD01)を検出し、両側肩部と部分的に堀底を確認した。SD01から、近世瓦・陶磁器などが多数出土したが、その多くは城の廃絶時に投棄されたものであった。瓦については、太田氏桔梗紋軒丸瓦、本庄(松平)氏繁九目結紋軒丸瓦の家紋瓦や菊紋の軒平瓦に加え、新たに五瓜に桔梗紋の飾り瓦や蔦紋・巴紋の軒平瓦・桟瓦等が確認され、浜松城跡出土瓦の新分類資料も提示できる結果となった。また出土遺物の時期や絵図の検討結果、SD01は明治初期(1872~1890年)に廃絶されたことが明らかになった。SD01北側では土塁は残存していなかったが、土塁構築時又は土塁構築以前の柱穴列・土坑・溝等が確認できた。

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