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平原城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139065
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139065
引用表記 小諸市教育委員会 2024 『小諸市埋蔵文化財発掘調査報告書44:平原城跡』小諸市教育委員会
小諸市教育委員会 2024 『平原城跡』小諸市埋蔵文化財発掘調査報告書44
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書名 平原城跡
発行(管理)機関 小諸市 - 長野県
書名かな ひらはらじょうあと
副書名 土砂採取に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 小諸市埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 44
編著者名
編集機関
小諸市教育委員会
発行機関
小諸市教育委員会
発行年月日 20240322
作成機関ID
郵便番号 3848501
電話番号 0267221700
住所 長野県小諸市相生町三丁目3番3号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 平原城跡
遺跡名かな ひらはらじょうあと
本内順位 1
遺跡所在地 長野県小諸市大字平原字星合
所在地ふりがな ながのけんこもろしおおあざひらはらあざほしあい
市町村コード 20208
遺跡番号 148
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 361901
東経(世界測地系)度分秒 1382759
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.316944 138.466388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210712-20211130
調査面積(㎡)
2514
調査原因 土砂採取
遺跡概要
種別
城館
散布地
時代
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴建物址1
溝状遺構3
土坑19
ピット30
主な遺物
土師器
須恵器
陶磁器
銭貨
石製品
特記事項
要約 今回の調査地点である平原城跡星合地籍の曲輪は、16世紀前半期の城郭とみられることが判明した。星合地籍の大堀に囲まれた600m四方の曲輪からは5面の平場が看取された。
平場の最頂部、平場1はピット・竪穴建物址などが全く検出されず後世に整地されたかのようである。その東の下がった平場2には1棟のみ竪穴建物址があった。高所にあたるその平場1・2の前面に東西方向のSD1溝が設けられ、北側の法面に石積みが残っていた。石材は軽石で、長方形に加工し、3段に積み上げている。一か所溝内に橋脚部の礎石とみられる安山岩製の平石がステップ状に配置されていた。
また調査区の西端に曲輪端部と平行して、幅が狭く深い塹壕のような堀状遺構が検出された。平場4からはL字の浅い溝と土坑と単独ピットが密集していた。
出土遺物は15世紀の後半から16世紀の前半に限られ、平原城跡星合地籍の使用時期とみられる。石製品はいずれも二次焼成を受けており、炭化物を堆積する土坑もあった。
今回の調査で平原城跡の星合地籍は、溝に新旧があるので、後代まで下る可能性はあるが、武田氏の本格的な佐久侵攻以前であろう遺跡で、青白磁の梅瓶や天目茶碗、茶臼などからは、有力者の城館跡であろうことが分かった。

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