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芹田東沖遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22073
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22073
引用表記 長野市教育委員会 2011 『長野市の埋蔵文化財129:芹田東沖遺跡』長野市教育委員会文化財課埋蔵文化財センター
長野市教育委員会 2011 『芹田東沖遺跡』長野市の埋蔵文化財129
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ファイル
書名 芹田東沖遺跡
発行(管理)機関 長野市 - 長野県
書名かな せりたひがしおきいせき
副書名 若里市民文化ホール地点 都市計画道路栗田安茂里線地点
巻次
シリーズ名 長野市の埋蔵文化財
シリーズ番号 129
編著者名
編集機関
長野市教育委員会
発行機関
長野市教育委員会文化財課埋蔵文化財センター
発行年月日 20110331
作成機関ID 20201
郵便番号 3812212
電話番号 0262840004
住所 長野県長野市小島田町1414番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 芹田東沖遺跡
遺跡名かな せりたひがしおきいせき
本内順位
遺跡所在地 長野県長野市若里3丁目字東沖894他
所在地ふりがな ながのけんながのしわかさと3ちょうめあざひがしおき894ほか
市町村コード 20201
遺跡番号 B-017
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363752
東経(世界測地系)度分秒 1381147
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.631111 138.196388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19930517-19931021
19940509-19950203
19950522-19950616
20081106-20081205
調査面積(㎡)
8290
2310
990
470
調査原因 公共施設建設 道路改善
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居
土坑
掘立柱建物
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
灰釉陶器
砥石
特記事項
要約  調査地は裾花川扇状地末端の低地域に属し、犀川流路に接した南側には浸食崖が形成されている。一帯に堆積する土壌には、未分解の有機質が混合するなど、低湿な環境下において連続的に形成された粘土が主体であり、通常の集落遺跡と比較してやや特異な立地条件の中で、古墳時代後期から奈良・平安時代にかけての遺構・遺物を検出した。
 検出遺構・遺物の中では、奈良時代段階の竪穴住居と掘立柱建物の構成と、「市寸」と墨書された土器の出土が注意される。「市寸」は中世荘園名に連なる地名「市村」を示していると判断されるものであり、同地名が奈良時代にまで遡ることが証明されるとともに、遺跡の成立が律令体制下における信濃国水内郡芹田郷との連関において理解される可能性も示唆されることとなった。

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