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石川県金沢市 兼六元町遺跡・彦三町一丁目遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/38122
引用表記 金沢市 2007 『金沢市文化財紀要243:石川県金沢市 兼六元町遺跡・彦三町一丁目遺跡』金沢市埋蔵文化財センター
金沢市 2007 『石川県金沢市 兼六元町遺跡・彦三町一丁目遺跡』金沢市文化財紀要243
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ファイル
書名 石川県金沢市 兼六元町遺跡・彦三町一丁目遺跡
発行(管理)機関 金沢市 - 石川県
書名かな いしかわけんかなざわし けんろくもとまちいせき・ひこそまちいっちょうめいせき
副書名
巻次
シリーズ名 金沢市文化財紀要
シリーズ番号 243
編著者名
編集機関
金沢市
発行機関
金沢市埋蔵文化財センター
発行年月日 20070330
作成機関ID 17201
郵便番号 9200374
電話番号 0762692451
住所 石川県金沢市上安原南60番
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 兼六元町遺跡
遺跡名かな けんろくもとまちいせき
本内順位 1
遺跡所在地 石川県金沢市兼六元町
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしけんろくもとまち
市町村コード 17201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363400
東経(世界測地系)度分秒 1363951
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.566666 136.664166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20051124-20060110
調査面積(㎡)
168
調査原因 消防署建設
遺跡概要
種別
集落
時代
江戸
主な遺構
井戸
石組溝跡
土坑
主な遺物
陶磁器
土器
金属製品
石製品
特記事項 調査区は北区と南区に分かれており、江戸時代の絵図面によると、北区は禄高500石の千秋家の屋敷地である。南区は久田家、のち多賀家の屋敷地である。

種別:城下町
遺跡名 彦三町一丁目遺跡
遺跡名かな ひこそまち1ちょうめいせき
本内順位 2
遺跡所在地 石川県金沢市彦三町
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしひこそまち
市町村コード 17201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363421
東経(世界測地系)度分秒 1363940
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5725 136.661111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20040716-20040818
調査面積(㎡)
50
調査原因 防火水槽設置
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
溝か
主な遺物
土師器
特記事項 調査区は江戸時代の絵図面によると、禄高500石前後の武家の屋敷地で、その前庭部分に当たると思われる。
種別
集落
時代
江戸
主な遺構
土坑
ゴミ穴
ピット
主な遺物
陶磁器
土器
木製品
石製品
金属製品
特記事項 種別:城下町
要約 兼六元町遺跡
 調査箇所は北区と南区の2箇所にわかれており、このうち北区は藩政期を通じて禄高500石の千秋家の屋敷地であった。南区は江戸前期に久田家、江戸後期には多賀家の屋敷地であったことが確認されている。南区からは18世紀中~後期の整地層が確認されており、この時期に屋敷地の移転にともなう整地がなされていたと考えることもできる。また、調査区の東側には現在も東内惣構が走っているが、これに関する遺構は検出されなかった。

彦三町一丁目遺跡
 調査箇所は、近世の絵図によると石高500石前後の武家の居住地にあたる。17世紀前半から19世紀前半までの陶磁器類の破片を埋めた土坑が複数築かれていることから、一軒の屋敷の庭部分と考えられる。17世紀後半以降、調査区東半分を整地しているが、火災との関係は不明である。

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