石川県金沢市 大友E遺跡
| URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/38082 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 引用表記 | 金沢市埋蔵文化財センター 2016 『金沢市文化財紀要305-2:石川県金沢市 大友E遺跡』金沢市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金沢市埋蔵文化財センター 2016 『石川県金沢市 大友E遺跡』金沢市文化財紀要305-2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book ... 開く
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| 書名 | 石川県金沢市 大友E遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 発行(管理)機関 | 金沢市 - 石川県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 書名かな | いしかわけんかなざわし おおともEいせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 副書名 | ー金沢市副都心北部大友土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅱ- | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| シリーズ名 | 金沢市文化財紀要 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| シリーズ番号 | 305-2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 編集機関 |
金沢市埋蔵文化財センター
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| 発行機関 |
金沢市
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| 発行年月日 | 20160729 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 作成機関ID | 17201 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 郵便番号 | 9200374 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 電話番号 | 0762692451 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 住所 | 石川県金沢市上安原南60番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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| 資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 他の電子リソース |
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| 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所収遺跡 |
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| 要約 | 区画整理事業に先だって実施した大友E遺跡の発掘調査報告である。 弥生時代中期後半から始まる本遺跡は、集中して方形周溝墓を造成する墓域を調査区の中央付近に設定し、それを西側から取り囲むようにして竪穴建物、掘立柱建物が建ち並ぶ居住域が設定されていた。古墳時代は、市内において検出事例の少ない古墳時代中後期の遺跡であり、方墳2基を抱えた集落跡である。当該期集落の構成を考える一例となる。古代においては遺跡の北端にSD1001・2004があり、当該期の遺物が出土する。SD1001からは石製巡方が出土している。SD3002からは大量の遺物が出土しており、1000点を超える墨書土器以外にも人形等の木製祭祀具、銅製の巡方、漆紙文書の付着した土器なども出土している。文書の内容は請求文書であり、この遺跡が物品の請求を受ける立場である公的管理施設であることの証明といえよう。中世段階においては、四方を溝で囲み、作業所のような施設を備えた館跡の可能性がある。 古代における大友E遺跡の性格は、「稲依」・「♯」などの祭祀関係墨書、「田舎」施設の存在、役職「案主」墨書の存在と巡方などの公的遺物に加え、漆紙文書に記載された「申請」の文字から、農耕・生産に関する公的管理施設で、遺跡周辺を含めた比較的広範囲な土地を対象に定期的な(頻繁な)祭祀行為を行っていたことが想定される。 |
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