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七尾市 小島西遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24654
引用表記 (財)石川県埋蔵文化財センタ− 2008 『七尾市 小島西遺跡』(財)石川県埋蔵文化財センタ−
(財)石川県埋蔵文化財センタ− 2008 『七尾市 小島西遺跡』
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ファイル
書名 七尾市 小島西遺跡
発行(管理)機関 (公財)石川県埋蔵文化財センター - 石川県
書名かな ななおし こじまにしいせき
副書名 街路事業都市計画道路川原松百線に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
(財)石川県埋蔵文化財センタ−
発行機関
(財)石川県埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20080321
作成機関ID
郵便番号 920-1336
電話番号 076-229-4477
住所 石川県金沢市中戸町18番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小島西遺跡
遺跡名かな こじまにしいせき
本内順位
遺跡所在地 石川県七尾市小島町地内
所在地ふりがな いしかわけんななおしこじままちちない
市町村コード 17202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 370302
東経(日本測地系)度分秒 1365721
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.0536 136.9528
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020424-20030124
20030421-20040113
20040422-20041006
調査面積(㎡)
3,240
2,080
1,290
調査原因 道路(都市計画道路)
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
土坑
主な遺物
弥生土器
特記事項 貯蔵穴群を検出した
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
主な遺物
製塩土器
土師器
須恵器
カマド
子持勾玉
勾玉
臼玉
管玉
特記事項 大型脚台付製塩土器が出土した
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物
主な遺物
斎串
人形
馬形
弓形
刀形
舟形
琴柱形
鋤形
鏃形
斧形
棒状木製品
鹿笛
人面墨書土器
墨書土器
円面硯
須恵器
動物骨
モモ核
特記事項 木製祭祀具が大量に出土した

主な時代:奈良〜平安
種別
時代
室町
戦国
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物
土坑
井戸
主な遺物
土師器
珠洲焼
青磁
越中瀬戸
瓦質土器
漆器
下駄
鉄釘
鉄滓
銅銭
石臼
特記事項 溝で区画された遺構群を検出した。大鋸による切断痕跡をもつ木製品が出土した


主な時代:16世紀〜近世
要約 [小島西遺跡 要約]
古墳時代においては、脚台付製塩土器を用いて製塩作業を行っているが、カマドや甕などの日常生活品も多く出土し、臨海集落として性格づけられる。また、滑石製玉類を用いて祭祀を行っている。  古代においては、主に木製祭祀具を用いて大規模に祭祀を行っている。祭祀は古代から中世初頭まで、断続的ながら長期にわたって執り行われている。祭祀の規模と継続性から判断して、能登国府あるいは香嶋津に付随する祭祀場であったと推定される。斎串は大型品が多く、人形には顔の墨書きは認められない。斎串と共に出土した広葉樹芯持ち丸木材も祭祀具の可能性がある。  中世においては、16世紀前半から中頃にかけての区画溝を検出し、区画内から大型建物や井戸が見つかっている。該期は能登守護畠山氏の安定支配期にあたり、湊町の西縁が発展拡大しているものと考えられる。また、廃棄土坑や井戸跡から当時の食生活をしのばせる魚骨類や種実類が出土した。

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