奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41230 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132420 件
( 前年度比 + 1735 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120563 件
( 前年度比 + 1568 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 富山県 > 富山市 > 富山市内遺跡発掘調査概要

富山市内遺跡発掘調査概要

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/18682
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.18682
引用表記 富山市教育委員会 埋蔵文化財センター 2015 『富山市埋蔵文化財調査報告72:富山市内遺跡発掘調査概要』富山市教育委員会
富山市教育委員会 埋蔵文化財センター 2015 『富山市内遺跡発掘調査概要』富山市埋蔵文化財調査報告72
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=大介|last=堀内|title=富山市内遺跡発掘調査概要|origdate=2015-03-31|date=2015-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/18682|location=富山県富山市愛宕町1-2-24|ncid=BB18406957|doi=10.24484/sitereports.18682|series=富山市埋蔵文化財調査報告|volume=72}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 富山市内遺跡発掘調査概要
発行(管理)機関 富山市 - 富山県
書名かな とやましないいせきはっくつちょうさがいよう
副書名 砂川カタダ遺跡
巻次 14
シリーズ名 富山市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 72
編著者名
編集機関
富山市教育委員会 埋蔵文化財センター
発行機関
富山市教育委員会
発行年月日 20150331
作成機関ID 16201
郵便番号 9300091
電話番号 0764424246
住所 富山県富山市愛宕町1-2-24
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 砂川カタダ遺跡
遺跡名かな すながわかただいせき
本内順位
遺跡所在地 富山県富山市東老田地内
所在地ふりがな とやまけんとやましひがしおいだちない
市町村コード 16201
遺跡番号 2010098
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 364213
東経(世界測地系)度分秒 1370819
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.703611 137.138611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070226-20070323
調査面積(㎡)
180
調査原因 個人住宅建築
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
平安
鎌倉
江戸
主な遺構
弥生-竪穴建物
平地式建物
土坑
ピット
主な遺物
弥生-弥生土器
管玉未製品
特記事項 弥生-猫橋式期(弥生時代後期前半)の集落
種別
時代
主な遺構
平安-掘立柱建物
土坑
ピット
主な遺物
平安-須恵器
土師器
土錘
鉄滓
特記事項 平安-古代婦負郡の生産集落の一つか
種別
時代
主な遺構
鎌倉-ピット
主な遺物
鎌倉-中世土師器
珠洲
特記事項 鎌倉-集落の縁辺部か
種別
時代
主な遺構
主な遺物
江戸-越中瀬戸
特記事項
要約 本遺跡は新堀川支流鍛冶川右岸の河岸段丘に形成された弥生時代後期~鎌倉時代の集落跡である。
弥生時代後期前半の猫橋式期の竪穴建物、平地式建物などを検出した。出土土器は富山県における当該期の土器編年を補完するものと言える。下条川中流域に広がる弥生時代の遺跡群は、下条川の東を流れる本遺跡を含む新堀川流域まで広がるものと考える。
平安時代の掘立柱建物、土師器焼成遺構の可能性がある土坑などを検出し、本遺跡が呉羽丘陵から射水丘陵にかけて広がる一大手工業生産地帯の生産集落の一つである可能性がある。
鎌倉時代末の集落の縁辺部と考える。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 327
ファイルダウンロード数 : 242

全国のイベント

外部出力