奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41230 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132420 件
( 前年度比 + 1735 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120563 件
( 前年度比 + 1568 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 富山県 > 富山市 > 富山市横越遺跡発掘調査報告書

富山市横越遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/115126
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.115126
引用表記 毛野考古学研究所富山支所 2021 『富山市埋蔵文化財調査報告105:富山市横越遺跡発掘調査報告書』富山市教育委員会埋蔵文化財センター
毛野考古学研究所富山支所 2021 『富山市横越遺跡発掘調査報告書』富山市埋蔵文化財調査報告105
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=大介|last=堀内|first2=尚|last2=常深|first3=|last3=パリノ・サーヴェイ株式会社|title=富山市横越遺跡発掘調査報告書|origdate=2021-11-30|date=2021-11-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/115126|location=富山県富山市婦中町速星754 婦中総合行政センター3階|ncid=BC11507341|doi=10.24484/sitereports.115126|series=富山市埋蔵文化財調査報告|volume=105}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 富山市横越遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 富山市 - 富山県
書名かな とやまし よこごし いせき はっくつ ちょうさ ほうこくしょ
副書名 ジャパンメディック株式会社工場地拡張工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 富山市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 105
編著者名
編集機関
毛野考古学研究所富山支所
発行機関
富山市教育委員会埋蔵文化財センター
発行年月日 20211130
作成機関ID 16201
郵便番号 9392798
電話番号 0764652146
住所 富山県富山市婦中町速星754 婦中総合行政センター3階
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 横越遺跡
遺跡名かな よこごしいせき
本内順位
遺跡所在地 富山市横越
所在地ふりがな とやましよこごし
市町村コード 16201
遺跡番号 0046
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 364459
東経(世界測地系)度分秒 1371700
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.749722 137.283333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20201210-20210128
調査面積(㎡)
411.7
調査原因 工場地拡張工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
中世溝
近世溝
主な遺物
古代土師器
須恵器
灰釉陶器
土錘
中世土師器
珠洲
江戸越中瀬戸
特記事項 中世から近世にかけての溝、小溝群を検出
要約  横越遺跡は常願寺川左岸の扇状地末端部にあり、自然堤防状の微高地の縁辺部に位置する。海岸まで約1kmの距離にあり、標高は3.5mを測る。
 調査では中近世を主体とする溝50条を検出した。溝には幅2.7~4.6mの規模の大溝が4条あり、耕作地に関連した区画溝が想定された。それ以外の溝は幅20~50cm規模の小溝であった。小溝は方位や間隔によって4群に分類され、畑の畝溝の可能性が考えられた。調査地点の周辺は中世から近世にかけて、農耕地として利用されていたことが明らかとなった。遺物は縄文から近世まであるがその出土量は少なく、本遺跡と南西の浜黒崎野田・平榎遺跡にかけて広がる微高地上に集落の存在が想定される

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 365
ファイルダウンロード数 : 203

全国のイベント

外部出力