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水橋荒町・辻󠄀ヶ堂遺跡発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/138761
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.138761
引用表記 公益財団法人富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査課 2024 『富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告82:水橋荒町・辻󠄀ヶ堂遺跡発掘調査報告』公益財団法人富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査課
公益財団法人富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査課 2024 『水橋荒町・辻󠄀ヶ堂遺跡発掘調査報告』富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告82
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書名 水橋荒町・辻󠄀ヶ堂遺跡発掘調査報告
発行(管理)機関 (公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査課 - 富山県
書名かな みずはしあらまち・つじがどういせきはっくつちょうさほうこく
副書名 主要地方道富山魚津線道路橋りょう改築事業に伴う埋蔵文化財発掘報告
巻次
シリーズ名 富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告
シリーズ番号 82
編著者名
編集機関
公益財団法人富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査課
発行機関
公益財団法人富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査課
発行年月日 20240315
作成機関ID
郵便番号 9300887
電話番号 0764424229
住所 富山県富山市五福4384番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 水橋荒町・辻󠄀ヶ堂遺跡
遺跡名かな みすはしあらまち・つじがどういせき
本内順位
遺跡所在地 富山市水橋辻󠄀ヶ堂
所在地ふりがな とやましみずはしつじがどう
市町村コード 16201
遺跡番号 201044
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 364518
東経(世界測地系)度分秒 1371747
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.755 137.296388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20220720-20221014
20230522-20230802
調査面積(㎡)
1112
729
調査原因 主要地方道富山魚津線道路橋りょう改築事業に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
縄文
弥生
中世(細分不明)
江戸
近代(細分不明)
主な遺構
方形周溝墓
掘立柱建物
土坑
井戸
主な遺物
縄文土器
弥生土器
珠洲
瓦質土器
越中瀬戸
伊万里
唐津
不明近世陶磁器
近代磁器
打製石斧
磨製石斧
石錘
石臼
木製品
特記事項 縄文時代中期後葉~後期前葉の土器が出土。弥生時代後期の方形周溝墓。溝から爪状圧痕のある弥生土器の壺出土。
要約 弥生時代後期の方形周溝墓3基が海岸部付近で確認された。方形周溝墓の可能性もある溝からは爪状圧痕を施した壺が出土し、何らかのモチーフを描こうとした絵画土器で、特別な役割を持たせていたと考えられる。弥生時代の遺物出土は少なく、集落からは距離を置いた場所に墓域が形成されていたとみられる。中世後半、近世においては集落が形成されていた。なお、縄文土器の出土は多いもののの当該期の遺構は確認されず、調査区の周辺に集落が存在していた可能性がある。縄文時代中期後葉から後期前葉にかけての土器が出土しており、海岸部付近への進出を考える上での貴重な資料となる。

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