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川崎市文化財調査集録

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/103978
引用表記 川崎市教育委員会生涯学習部文化財課 2008 『川崎市文化財調査集録』川崎市教育委員会
川崎市教育委員会生涯学習部文化財課 2008 『川崎市文化財調査集録』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=|last=川崎市教育委員会|title=川崎市文化財調査集録|origdate=2008-03-31|date=2008-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/103978|ncid=AN00160649|ncid=BN03342855|volume=43}} 閉じる
ファイル
書名 川崎市文化財調査集録
発行(管理)機関 川崎市 - 神奈川県
書名かな かわさきし ぶんかざい ちょうさ しゅうろく
副書名
巻次 43
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
川崎市教育委員会生涯学習部文化財課
発行機関
川崎市教育委員会
発行年月日 20080331
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 川崎市蟹ヶ谷四方之嶺横穴墓
遺跡名かな かわさきしかにがやしほうのみねよこあなぼ
本内順位
遺跡所在地 川崎市高津区蟹ヶ谷字四方之嶺277-1ほか
所在地ふりがな かわさきしたかつくかにがやあざしほうのみね
市町村コード 13134
遺跡番号 久末-17 高津区-135
北緯(日本測地系)度分秒 353345
東経(日本測地系)度分秒 1393805
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.5657 139.6315
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070524-20070605
調査面積(㎡)
18
調査原因 共同住宅建設に伴う宅地造成工事中の発見
遺跡概要
種別
時代
古墳
主な遺構
横穴墓1
主な遺物
石製品(丸玉)14
人骨
特記事項 玄室内から横臥伸展の人骨1、頭骨・下顎骨4、計5個体以上の人骨が出土
遺跡名 影向寺遺跡 第11次
遺跡名かな ようごじいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県川崎市高津区野川411-16
所在地ふりがな かながわけんかわさきしたかつくのがわ
市町村コード 14130
遺跡番号 千年-11 宮前区No.5
北緯(日本測地系)度分秒 353429
東経(日本測地系)度分秒 1393745
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.578 139.626
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20051209
20060110-20060124
調査面積(㎡)
9
60
調査原因 吾人専用住宅改築工事に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居址3
主な遺物
弥生土器
石製品
特記事項 弥生時代後期
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居址3
主な遺物
土師器
特記事項 古墳時代後期および7世紀後半以降
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物址2
主な遺物
土師器
特記事項 7世紀時代
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
ピット21
主な遺物
特記事項
要約 今回調査された蟹ヶ谷四方之嶺横穴墓は下末吉台地の東端、東に延びる舌状台地の東側に位置するが、遺跡の東側には日田から開析された小支谷が入り込んでいる。遺跡はこの小支谷を望む斜面に位置し、武蔵野~下末吉ローム層を彫り込んで構築されている。
横穴墓は未周知の遺跡で、集合住宅建設に伴う造成中に新規に発見されたものである。発見時にはすでに墓前城・羨門・羨道が破壊されている状況で、調査できたのは羨道の一部・玄室のみである。また、玄室内部も天井部・壁面の崩落が顕著で、崩落土が床面を覆っている状況である。
横穴墓は残存部から、中央部でやや括れるが平面形が撥形を呈し、立面形は横断面がアーチ形、縦断面が無前壁天井形を呈する。開口部から億壁までの長さは3.58m、奥壁での幅は2.43m、高さは1.65mを測る。床面は上・下2段の棺座を有し、それぞれに拳大の川原医師によって比較的な礫床が構築されていた。このうち花壇の礫床には本遺跡発見の契機となった人骨が一体、頭部などが一部破損しているが横臥伸展の状況で検出されている。この人骨の胸骨部分からは小児下顎骨が検出されている。上段からは、南東壁際より2個体の頭骨、北壁中央やや東寄りから1個体の頭骨、北西側からは大腿骨・腓骨と考えられるやや大形の骨がまとまった状況で出土している。また、中央ー南東側には広い範囲で骨粉が依存している。人骨は計5体検出されている。人骨以外の遺物としては、石製丸玉が14点出土したのみである。
残存する玄室および羨道の形態や副葬品が僅小なてんなどから7世紀後ー末葉頃の所産と考えられる。

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