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神成松遺跡第4地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71231
引用表記 株式会社玉川文化財研究所 2014 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書20:神成松遺跡第4地点』株式会社玉川文化財研究所
株式会社玉川文化財研究所 2014 『神成松遺跡第4地点』神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書20
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ファイル
書名 神成松遺跡第4地点
発行(管理)機関 神奈川県教育委員会 - 神奈川県
書名かな かみなりまついせきだい4ちてん
副書名 県道603号(上粕屋厚木)道路改良工事に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 20
編著者名
編集機関
株式会社玉川文化財研究所
発行機関
株式会社玉川文化財研究所
発行年月日 20140326
作成機関ID
郵便番号 2210822
電話番号 0453215565
住所 神奈川県横浜市神奈川区西神奈川1-8-9
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 神成松遺跡第4地点
遺跡名かな かみなりまついせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県伊勢原市上粕屋地内
所在地ふりがな かながわけんいせはらしかみかすやちない
市町村コード 14214
遺跡番号 伊勢原市№74・200
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352450
東経(世界測地系)度分秒 1391730
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.413888 139.291666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130401-20131101
調査面積(㎡)
1459
調査原因 道路改良工事
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
縄文
弥生
古墳
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑 - 19(近世以降)
溝状以降 - 4(近世以降)
道状遺構 - 2(近世以降)
ピット列 - 1(近世以降)
段切状遺構 - 1(近世以降)
畝状遺構 - 8(近世以降)
竪穴状遺構 - 5(中世)
土坑 - 16(中世)
溝状遺構 - 9(中世)
ピット - 423(中世)
竪穴住居跡 - 8(弥生~古墳前期)
竪穴状遺構 - 1(弥生~古墳前期)
大形土坑 - 1(縄文)
土坑 - 1(縄文)
陥し穴 - 8(縄文)
ピット - 4(縄文)
主な遺物
陶磁器(近世以降)
土製品(近世以降)
金属製品(近世以降)
銭貨(近世以降)
かわらけ(中世)
土師質土器(中世)
陶磁器(中世)
金属製品(中世)
土師器(弥生~古墳前期)
土器(弥生~古墳前期)
土器(縄文)
石器(縄文)
特記事項
要約 近世では、耕作に関連する土坑と畝状遺構のほか、富士宝永火噴火(1707)直前段階の道状遺構を現行道路の直下で検出し、現行の土地利用状況が江戸まで遡ることが判明した。中世では竪穴状遺構や道状遺構のほかピットを多数検出した。遺物は少ないものの、13世紀後半~14世紀前半を主体として青白磁梅瓶なども見られる。古墳時代前期では竪穴住居跡を検出し、第2地点から本地点まで集落が広がることが確認された。弥生時代では東海系中期前半の弥生時代土器を検出した。縄文時代では、陥し穴が発見遺構の中心であることから、集落から離れた狩猟・採集の場であることが考えられた。また、J1号大型土坑覆土採集層から単独で出土した清水台式(狢沢並行期)土器は、特殊な出土状態として注目される。

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