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河原口坊中遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71196
引用表記 国際文化財株式会社 2013 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書14:河原口坊中遺跡 』国際文化財株式会社
国際文化財株式会社 2013 『河原口坊中遺跡 』神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書14
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ファイル
書名 河原口坊中遺跡
発行(管理)機関 神奈川県教育委員会 - 神奈川県
書名かな かわらぐち ぼうじゅう いせき
副書名 平成24年度相模川河川改修工事に伴う発掘調査
巻次 第5次調査
シリーズ名 神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 14
編著者名
編集機関
国際文化財株式会社
発行機関
国際文化財株式会社
発行年月日 20131202
作成機関ID
郵便番号 1020085
電話番号 0363612455
住所 東京都千代田区六番町2番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 河原口坊中遺跡
遺跡名かな かわらぐちぼうじゅういせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県海老名市河原口17
所在地ふりがな かながわけんえびなしかわらぐち17
市町村コード 14215
遺跡番号 海老名市№52
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352712
東経(世界測地系)度分秒 1392234
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.453333 139.376111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120626-20121207
調査面積(㎡)
120
調査原因 河川改修工事
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
弥生
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
畝状遺構 - 2(近世)
土坑 - 4(近世)
ピット - 2(近世)
掘立柱建物址 - 4(中世)
竪穴建物址 - 1(中世)
溝状遺構 - 4(中世)
段切り状遺構 - 1(中世)
柱穴列 - 4(中世)
土坑 - 44(中世)
ピット - 67(中世)
竪穴建物址 - 60(古墳前期~平安)
柱穴列 - 1(古墳前期~平安)
土坑 - 43(古墳前期~平安)
ピット - 23(古墳前期~平安)
方形周溝墓 - 3(弥生中期~古墳初頭)
主な遺物
磁器碗(近世)
鉄釘(近世)
中世陶器(中世)
土錘(中世)
刀子(中世)
鉄釘(中世)
金剛盤(中世)
砥石(中世)
凹石器(中世)
土師器(古墳前期~平安)
須恵器(古墳前期~平安)
土玉(古墳前期~平安)
臼玉(古墳前期~平安)
管玉(古墳前期~平安)
丸玉(古墳前期~平安)
剣形模造品(古墳前期~平安)
有孔円盤(古墳前期~平安)
土器(弥生中期~古布初頭)
土師器(弥生中期~古布初頭)
扁平片刃石斧(弥生中期~古布初頭)
特記事項 (中世)掘立柱建物址の柱穴から金剛盤が出土した。
(古墳)玉類などの石製祭具が出土した。
要約 河原口坊中遺跡は海老名市西部、相模川中流域の西岸の沖積微高地上に位置する遺跡である。弥生時代中期~近世にかけての複合遺跡で、近世以降では畝状遺構や耕作に伴うと考えられる土坑が確認されている。中世では掘立柱建物址、溝状遺構、柱穴列などが確認されており、段切り状遺構による大規模構成で行われていたことも確認された。また、掘立柱建物址の柱穴に密教法具である金剛盤が埋納されていた。これらは神奈川県初の事例である。古墳時代~古代では、狭小な調査区から60軒にも及ぶ竪穴建物址が検出された。弥生時代では、方形周溝墓群が確認された。当該地点は古くは墓域として土地利用が開始され、古墳時代~古代では集落になり、中世では区画内に掘立柱建物址が認められ一般的な集落とは異なる様相であるが、周辺の式内社や神宮寺との関係を示すことはできなかった。近世以降でか耕作地としての土地利用が行われていた。

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