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上行寺裏遺跡(六浦二丁目3番地近世墓群)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27694
引用表記 かながわ考古学財団 2011 『かながわ考古学財団調査報告272:上行寺裏遺跡(六浦二丁目3番地近世墓群)』かながわ考古学財団
かながわ考古学財団 2011 『上行寺裏遺跡(六浦二丁目3番地近世墓群)』かながわ考古学財団調査報告272
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ファイル
書名 上行寺裏遺跡(六浦二丁目3番地近世墓群)
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな じょうぎょうじ うら いせき むつうら にちょうめ 3ばんち きんせいぼぐん
副書名 平成21年度六浦二丁目仲東地区急傾斜地崩壊対策工事に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 272
編著者名
編集機関
かながわ考古学財団
発行機関
かながわ考古学財団
発行年月日 20110315
作成機関ID
郵便番号 232-0033
電話番号 045-252-8689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 上行寺裏遺跡(六浦二丁目3番地近世墓群)
遺跡名かな じょうぎょうじうらいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県横浜市金沢区六浦二丁目4224
所在地ふりがな かながわけんよこはましかなざわくむつうら4224
市町村コード 14108
遺跡番号 66
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 351945.07
東経(世界測地系)度分秒 1393704.48
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.329186 139.617911
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090917-20091215
調査面積(㎡)
58
調査原因 平成21年度六浦二丁目仲東地区急傾斜地崩壊対策工事
遺跡概要
種別
時代
近世(細分不明)
主な遺構
墓標群(総数145基)
墓11
主な遺物
墓標
陶磁器
かわらけ
銭貨
金属製品
木製品
人骨(土葬骨・火葬骨)
特記事項 17世紀後半から19世紀後半の墓標群、蔵骨器埋納土坑

遺跡名かな:じょうぎょうじうらいせき(むつうらにちょうめさんばんちきんせいぼぐん)
要約 [上行寺裏遺跡(六浦二丁目3番地近世墓群) 要約]
遺跡は上行寺の西側に立地する。西の御伊勢山と東の権現山に挟まれた谷戸頭の東側に位置する。南側前面には金沢から朝比奈を抜けて、鎌倉に通ずる六浦道が東西に通る。確認為れた墓標は145基を数えるが、その配列を見る限り原位置を保っているものは少なく、本調査区内に改葬・整理されたものと推定される。墓標直下には、蔵骨器を埋納した墓3基、改葬された墓2基と6基の土坑墓が発見され、墓坑に伴う陶磁器や銭貨などの副葬品から18世紀後半以降と推定された。この年代は墓標の紀年銘の主たる時期と重なる。今回調査した墓標群と墓は調査地点の谷戸中央部に、明治時代前半まで存続していたと伝承される嶺松寺に帰属する可能性が高い。この地域の近世における葬送と墓制を解明するための端緒となると考えられる。 

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