奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41252 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132433 件
( 前年度比 + 1748 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147563 件
( 前年度比 + 2123 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1300 件
( 前年度比 + 116 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 東京都 > 文京区 > 東京島文京区 大塚三丁目遺跡

東京島文京区 大塚三丁目遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/86215
引用表記 文京区教育委員会他 2010 『B-98:東京島文京区 大塚三丁目遺跡』筑波大学他
文京区教育委員会他 2010 『東京島文京区 大塚三丁目遺跡』B-98
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=|last=文京区教育委員会|first2=|last2=共和開発株式会社|first3=旨乃|last3=福重|title=東京島文京区 大塚三丁目遺跡|origdate=2010-12-28|date=2010-12-28|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/86215|publisher=文京区教育委員会|ncid=BB04937310}} 閉じる
ファイル
書名 東京島文京区 大塚三丁目遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな おおつか さんちょうめ いせき
副書名 筑波大学大塚地区校舎・放送大学東京文京学習センター棟整備事業に伴う緊急発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-98
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
共和開発株式会社
発行機関
筑波大学
放送大学学園
発行年月日 20101228
作成機関ID 13105
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 大塚三丁目遺跡に関する文献調査の成果
英語タイトル
著者
福重 旨乃
ページ範囲 47 - 78
NAID
都道府県 東京都
時代
文化財種別
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別
テーマ
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=旨乃|last=福重|contribution=大塚三丁目遺跡に関する文献調査の成果|title=東京島文京区 大塚三丁目遺跡|date=2010-12-28|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/86215|publisher=文京区教育委員会|ncid=BB04937310}} 閉じる
抄録(内容要約)
所収遺跡
遺跡名 大塚三丁目遺跡
遺跡名かな おおつかさんちょうめいせき
本内順位
遺跡所在地 文京区大塚3-29
所在地ふりがな ぶんきょうくおおつか3‐29
市町村コード 13105
遺跡番号 3
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354311
東経(世界測地系)度分秒 1394415
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.719722 139.737499
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100105-20100331
20100401-20101228
調査面積(㎡)
1425
調査原因 学校施設建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑1
主な遺物
土器3
特記事項
種別
その他
時代
古墳
主な遺構
主な遺物
土師器3
須恵器1
特記事項
種別
集落
その他
時代
江戸
主な遺構
地下室6
井戸2
土坑25
柱穴列2
礎石列2
礎石4
植栽痕1
溝6
段切り1
道路状遺構1
主な遺物
磁器381
陶器403
炻器46
土器361
土製品2
瓦81
金属製品141
石製品16
その他2,590
特記事項
要約  当該地は、陸奥守山藩松平家の上屋敷にあたる。拝領期間は、万治2(1659)年から幕末までで
ある。一部庭園空間にあたると思われる範囲が認められ、土地利用のあり様が明確に分かれている
のが確認された。また、約200年上屋敷として拝領されていたにもかかわらず、食物残滓を除く点数
は、1,425㎡あたり約1,500点と少ない。当該地は、朱引線に近接していることから、朱引線に近接
する大名屋敷の上屋敷の実態を解明する上で一資料を提示し得たと考えている。なお、縄文土器、
土師器、須恵器が少量出土した。縄文時代と推測される土坑1基以外の近世以前の遺構は確認され
なかった。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 170
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力