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国指定名勝及び史跡小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)第2地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62517
引用表記 文京区教育委員会他 2017 『B-148:国指定名勝及び史跡小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)第2地点』文京区・文京区教育委員会
文京区教育委員会他 2017 『国指定名勝及び史跡小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)第2地点』B-148
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ファイル
書名 国指定名勝及び史跡小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)第2地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな くにしていめいしょうおよびしせきこいしかわしょくぶつえん おやくえんあとおよびようじょうじょあと だい2ちてん
副書名 小石川植物園西側道路整備工事に伴う埋蔵文化財確認調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-148
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
株式会社武蔵文化財研究所
発行機関
文京区・文京区教育委員会
発行年月日 20170210
作成機関ID
郵便番号 112-8555
電話番号 03-5803-1305
住所 東京都文京区春日1-16-21
報告書種別
史跡-修理・整備
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小石川御薬園跡
遺跡名かな こいしかわおやくえんあと
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区白山三丁目7番
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくはくさん3ちょうめ7ばん
市町村コード 13105
遺跡番号 81
北緯(日本測地系)度分秒 354307
東経(日本測地系)度分秒 1394440
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7218 139.7412
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20141215-20150630
20160627-20160805
調査面積(㎡)
1,750
調査原因 小石川植物園西側道路整備工事に伴う確認調査
遺跡概要
種別
城館
散布地
時代
縄文
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
縄文土器集中部1箇所
石積4
柱穴列10
建物跡1
土坑34
溝状遺構17
カワラケ集中部1
小穴23
井戸1
瓦敷1
近代柱穴列3
近代土坑6
近代礫集中部1
近代小穴5
近代井戸1
近代煉瓦積2
近代排水施設2
主な遺物
縄文土器1,376
磁器5,057
陶器3,544
炻器1,074
土器2,929
土製品65
瓦9,133
石・石製品107
鉄製品126
銅製品35
炭化物65
硝子製品309
骨・貝13
木・木製品13
骨角製品1
石器3
不明2
銭貨43
その他351
特記事項 時代 : 近代以降
種別 : 包蔵地 武家屋敷
要約  小石川御薬園跡の調査である。絵図などの史料によると江戸時代、当該値は小石川百姓地から松平徳松(後の上野国館林藩主綱吉、その後五代将軍徳川綱吉)の屋敷を経て、館林藩下屋敷、小石川御殿、武家屋敷、小石川御薬園へと変遷した履歴を持つ。調査の結果、石積、柱穴列などの敷地境界施設の他、溝状遺構、土坑、井戸などの遺構が検出されている。遺物は17世紀中葉から20世紀中葉にかけての陶磁器(土器を含む)、金属製品、石製品、ガラス製品を中心に縄文土器、中世の板碑などが出土している。

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