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龍岡町遺跡第7地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/48075
引用表記 大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2015 『B-128:龍岡町遺跡第7地点』三菱地所レジデンス株式会社
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2015 『龍岡町遺跡第7地点』B-128
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ファイル
書名 龍岡町遺跡第7地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな たつおかちょういせきだい7ちてん
副書名 文京区湯島四丁目11番地内の開発事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-128
編著者名
編集機関
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門
発行機関
三菱地所レジデンス株式会社
発行年月日 20150320
作成機関ID
郵便番号 162-0045
電話番号 03-5285-3155
住所 東京都新宿区馬場下町1-1 早稲田SIAビル8F
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 龍岡町遺跡
遺跡名かな たつおかちょういせき
本内順位 1
遺跡所在地 東京都文京区湯島4丁目11地内
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくゆしまよんちょうめ
市町村コード 13105
遺跡番号 74
北緯(日本測地系)度分秒 354236
東経(日本測地系)度分秒 1394555
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7132 139.7621
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20121024-20130430
調査面積(㎡)
1037
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
時代
旧石器
主な遺構
石器集中1
主な遺物
削器
細部調整のある剥片
微細剥離痕の剥片
石核など
特記事項
種別
時代
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
主な遺構
包含層
主な遺物
土器など
特記事項
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
地下室27
井戸3
土取穴25
土坑136
区画溝2
柵列3
溝19
畝間溝72
ピット205
植栽痕18
風倒木2
切土3
主な遺物
磁器
半磁半陶
陶器
炻器
土器
土製品
金属製品
木製品
骨角製品
ガラス製品
石製品
自然遺物
その他
特記事項 種別:大名屋敷
要約  当該地は文京区湯島四丁目番地内に所在する。遺跡は、天正18(1590に下賜された高田藩榊原家中屋敷に相当し、屋敷地の面積は拝領時から変わることなく明治初頭を迎えた。屋敷地は2万坪を超える広大な範囲におよび、調査面積はその一角であり、約1,037㎡である。
 調査成果として、3度に亘る盛土地業と16世紀末葉から、19世紀中葉までの多数の遺構が確認されている。盛土以前に台地の切土が自然地形に沿った数基の土坑がある。切土の後、17世紀初頭に3度盛土がおこなわれ、上面では溝上遺構が検出された。2面盛土は17世紀前葉におこなわれ、上面では溝状遺構と畝間溝からなる畑跡を確認した。1面盛土は17世紀前・中葉におこなわれ、上面では17世紀後葉から19世紀中葉までの遺構がが検出されている。1面になり土地利用が活発化し、遺構が多数構築lされる。遺構の配置状況は、空白地帯を挟んで2条の帯状に配置されている。東西方面に整然と位置していることから、調査区は話人空間の藩士長屋の一部であったと推定される。第1面から第4面までの遺構は、推定廃絶年代より6時期に大別される。榊原家拝領以前に相当する遺構は確認できなかったが、盛土中には中世や16世紀代の遺物が含まれている。

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