奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41234 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132423 件
( 前年度比 + 1738 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 東京都 > 文京区 > 東京都文京区 後楽一・二丁目遺跡

東京都文京区 後楽一・二丁目遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/86545
引用表記 加藤建設株式会社 2016 『B-152:東京都文京区 後楽一・二丁目遺跡』三菱地所レジデンス株式会社
加藤建設株式会社 2016 『東京都文京区 後楽一・二丁目遺跡』B-152
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=祥枝|last=丹野|first2=裕美|last2=與儀|first3=博|last3=宮崎|first4=|last4=パリノ・サーヴェイ株式会社|first5=英行|last5=芝田|first6=真里|last6=梶ケ山|first7=旨乃|last7=福重|title=東京都文京区 後楽一・二丁目遺跡|origdate=2016-08-31|date=2016-08-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/86545|ncid=BB22013062}} 閉じる
ファイル
書名 東京都文京区 後楽一・二丁目遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうく こうらくいちにちょうめいせき
副書名 (仮称)文京区後楽二丁目計画における埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-152
編著者名
編集機関
加藤建設株式会社
発行機関
三菱地所レジデンス株式会社
発行年月日 20160831
作成機関ID 13105
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 後楽一・二丁目遺跡
遺跡名かな こうらくいちにちょうめいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区後楽2-13-10
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくこうらく2-13-10
市町村コード 13105
遺跡番号 60
北緯(日本測地系)度分秒 354222
東経(日本測地系)度分秒 1394443
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7093 139.7421
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150618-20150731
20150801-20160831
調査面積(㎡)
367
調査原因 共同住宅の建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
建物跡6
土蔵跡1
建物基礎141
事業跡3
タタキ状遺構2
上水施設9
下水溝16
下水枝樋2
埋桶13
埋桝4
瓦理設遺構1
土坑48
溝状遺構7
杭列4
かわらけ集中範囲1
硬化面範囲2
土留め板1
性格不明遺構9
小穴6
土坑(近代)4
主な遺物
土師器4
磁器4618
陶器9477
炻器605
土器2008
瓦725
土製品135
金属製品351
木製品2070
繊維製品3
骨角貝製品15
ガラス製品71
石製品64
自然遺物938
特記事項 ・近世の町知と武家地の発掘調査
・調査地は町家の裏手空間にあたり、土蔵跡、小規模建物跡、厠遺構等が検出された。
・盛土造成について、武家地と町地では層相と層厚が異なる盛土の様相が確認された。
・近世初頭の盛土造成以前の神田川の旧流路や「寛永江戸全図」に描かれた溝状施設と対比される溝状遺構が検出された。
・動物遺体の分析を実施。
・建物跡、土蔵跡を構成していた材の樹種同定を実施。
要約  本遺跡は、小石川台地南側の神田川が造成した沖積低地に位置する。調査地の東側、西側、南側はそれぞれ通りに面しており、本調査は東側を表間口とする町屋、西側を表間口とする武家地の発掘調査である。
 遺構は280基検出され、出土遺物の年代は17世紀中葉から19世紀中葉頃を主体とする。遺物の時期や遺構の重複関係から、おおよそⅠ期からⅥ期の6期に区分され、Ⅰ・Ⅱ期は武家地・町地成立以前、Ⅲ~Ⅵ期は町地・武家地の成立以降にあたる。このうちⅠ期は、近世初頭の盛土造成以前にあたり、神田川の旧流路と推測される緑色砂礫層が検出されたほか、自然科学分析や周辺遺跡の調査成果から、本調査地周辺にはヨシ属を主体とする湿原が広がり、一部は水田として利用されていたと考えられる。また、「寛永江戸全図」に描かれた溝状施設に対比される大溝も検出され、廃絶した大溝を介した東側と西側では盛土層の層様や層厚の異なる様相が認められている。
 武家地・町地の成立期にあたるⅢ期には、上水施設(竹樋)が敷設される。その後、町地や武家地を画する敷地境を兼ねた地割りが行われ、Ⅵ期にかけて建物跡、土蔵跡、下水溝などの遺構が構築される。絵図・地図資料から、調査地は町地の裏手空間に位置付けられ、検出された遺構の分布・様相と調和的である。武家地では、Ⅲ~Ⅵ期にかけて上水施設、下水溝、土坑等が見出されたが、建物跡を構成する遺構が検出されていないことから、建物周辺の空間にあたるものと推測される。
 特徴的な出土遺物としては、武家地から出土した美濃・瀬戸産陶器茶釜、大型の肥前産磁器仏花瓶、町地から出土した肥前産磁器十分盃、備前産炻器振出などがあげられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 205
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力