祥雲寺跡・浄福寺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/72580 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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引用表記 | テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部 2017 『B-151:祥雲寺跡・浄福寺跡』合同会社ALERO10 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部 2017 『祥雲寺跡・浄福寺跡』B-151 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
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ファイル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名 | 祥雲寺跡・浄福寺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 文京区 - 東京都 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | しょううんじあと じょうふくじあと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | (仮称)ALERO白山2新築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | B-151 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部
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発行機関 |
合同会社ALERO10
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発行年月日 | 20170630 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 13105 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 本調査地点は、江戸時代から明治時代にかけて曹洞宗瑞鳳山祥雲寺とその末寺法泉山浄福寺の境内に位置していたことが推定された。また、調査成果より墓域として利用された部分にあたることが判明した。祥雲寺は天文元(1532)年、江戸城和田門内に創建された。創建当初は「浄光寺」と称されていた。後北条氏滅亡後、徳川家康の江戸入府に伴い、神田台、小日向郷金杉村と移転を繰り返し、寛永13(1636)年に調査地点周辺の戸崎町へ移転してくる。「祥雲寺」への改号は宝永6(1709)年のことである。浄福寺は正保3(1646)年、祥雲寺の寺内に創建された。先行研究から祥雲寺は大名、旗本、諸藩士など武家の菩提寺、浄福寺は町人など庶民の菩提寺とされる。 調査では149基の埋葬遺構が検出され、調査区の西側は円形木棺墓、中央から西側は甕棺墓を主体とする様相が確認された。主に円形木棺は町人や下級武士、甕棺は旗本などの武家に用いられたとされている。そのため、調査区の西側が浄福寺、中央から東側が祥雲寺の墓域と推定することができた。墓域として利用されるのは18世紀後葉から末葉以降である。また、166号遺構からは水戸藩家老朝比奈弥太郎泰然の墓誌、144号遺構からは木版印刷の血盆経と信州大本願善光寺の血脈が出土した。 |