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東京都文京区 小石川三丁目東遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62516
引用表記 大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2016 『B-146:東京都文京区 小石川三丁目東遺跡』伊藤忠都市開発株式会社
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2016 『東京都文京区 小石川三丁目東遺跡』B-146
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ファイル
書名 東京都文京区 小石川三丁目東遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうくこいしかわさんちょうめひがしいせき
副書名 集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-146
編著者名
編集機関
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門
発行機関
伊藤忠都市開発株式会社
発行年月日 20160930
作成機関ID
郵便番号 162-0045
電話番号 03-5285-3155
住所 東京都新宿区馬場下町1-1 FORECAST早稲田FIRST8F
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小石川三丁目東遺跡
遺跡名かな こいしかわさんちょうめひがしいせき
本内順位
遺跡所在地 文京区小石川三丁目26番3号地内
所在地ふりがな ぶんきょうくこいしかわ3ちょうめ26ばん3ごうちない
市町村コード 13105
遺跡番号 85
北緯(日本測地系)度分秒 354245
東経(日本測地系)度分秒 1394459
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7157 139.7465
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20141008-20150210
調査面積(㎡)
1068
調査原因 集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
遺構なし
縄文土器45
石器1
主な遺物
特記事項
種別
集落
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
主な遺構
竪穴建物跡1
溝1
小穴10
主な遺物
須恵器25
土師器737
土製品
礫23
特記事項
種別
社寺
時代
江戸
主な遺構
埋葬遺構601
溝1
井戸1
植栽痕5
小穴20
性格不明1
主な遺物
磁器1,126
陶器2,212
炻器1,342
土器2,343
瓦2,150
土製品177
金属製品1,080
甕1
特記事項 種別:社寺墓
種別
社寺
時代
明治
大正
昭和
平成
主な遺構
埋葬遺構9
建物跡1
磁石2
井戸3
土坑6
植栽痕2
小穴9
主な遺物
木製品5,732
骨角製品4
ガラス製品120
石製品108
自然遺物5,857
土類17
近代・その他521
特記事項 主な時代:明治以降
要約  本遺跡は、武蔵野台地東端の小石川台地から区内のほぼ中央部を北西から南東に延びる小石川谷にかかる斜面上に立地している。当該地は、近世の絵図で確認すると傳通院の境内の東端に位置し、本調査地点は、傳通院の境内東端に位置し、別院の景久院にあたる。
 景久院は延宝4(1676)年、家光旗本富田家四代景久が傳通院10世信譽の指導により荒廃していたものを再興し自らの墓所と定め、景久院と号し浄土宗寺院と定めた。起立年代は17世紀後葉と考えられ、今回検出された埋葬遺構の上限年代とも一致する結果となった。墓域としては江戸時代の17世紀後葉から19世紀中葉まで利用され、明治時代以降も調査区の一部は墓域として利用されたようである。
 本調査区周辺ではこれまでに傳通院に関連する遺跡が調査されているが、今回の600基程の埋葬遺構を有する広大な墓域の調査は初である。別院とはいえ、傳通院に関わる遺跡として本調査で得られた墓域に関する情報は、大きな成果であったといえよう。

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