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東京都文京区 小日向二丁目東遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/138331
引用表記 文京区教育委員会 2023 『B-185:東京都文京区 小日向二丁目東遺跡』文京区
文京区教育委員会 2023 『東京都文京区 小日向二丁目東遺跡』B-185
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ファイル
書名 東京都文京区 小日向二丁目東遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうく こひなたにちょうめひがしいせき
副書名 文京区立小日向台町小学校増築工事に伴う間増文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-185
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
発行機関
文京区
発行年月日 20230331
作成機関ID 13105
郵便番号 1128555
電話番号 0358031305
住所 東京都文京区春日1-16-21
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小日向二丁目東遺跡
遺跡名かな こひなたにちょうめひがしいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区小日向2-3-8
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくこひなた2-3-8
市町村コード 13105
遺跡番号 7
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354246
東経(世界測地系)度分秒 1394408
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.712777 139.735555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20211216-20220228
調査面積(㎡)
289
調査原因 小学校増築に伴う発掘調査
遺跡概要
種別
集落
その他
時代
旧石器
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
主な遺構
竪穴建物跡1軒
主な遺物
石器
土器
土器
須恵器
特記事項 旧石器の石器が立川ロームⅣ層相当から1点出土した。もか、近世以降の遺構覆土などに混入して中世以前の遺物が出土した。弥生時代後期の竪穴建物跡(092号遺構)1軒を検出した。
種別
集落
その他
時代
近世(細分不明)
主な遺構
地下室6基
井戸2基
採土抗1基
溝状遺構2条
植栽痕13基
土坑87基
礎石2基
小穴列3条
小穴2基
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
金属製品
木製品
繊維瀬品
骨角製品
貝製品
ガラス製品
石製品
自然堆積
土器
特記事項 江戸時代の旗本蜂屋家の抱屋敷に関わる意向を検出した。このうち、竪坑を有する地下室(122号遺構)からは明和3(1766)年に当屋敷で起きた火災ごみの廃棄を想定させる多量の被熱した瓦などが出土した。
 また、蜂屋家に関わるものと想定される「蜂屋」と墨書された陶器蓋1点が土坑(082号遺構)から出土した。
種別
集落
その他
時代
近代(細分不明)
主な遺構
建物跡1基
塀跡1基
埋甕1基
溝状遺構3条
土坑12 基
小穴2基
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
ガラス製品
石製品
自然遺物
樹脂製品
特記事項  小学校の旧施設として昭和17年に建設され、昭和20年の空襲の際に焼失した屋内体操場の基礎(001号遺構)を検出した。
要約  本遺跡は、東京都文京区小日向二丁目3番8号地の文京区立小日向台町小学校の敷地内に所在する。調査地点は小日向台地上南側の平坦部に立地する。周辺の現標高は26.5m前後を測る。
 本調査では、弥生時代後期と推定される竪穴建物跡を1軒検出した。遺構の中央には炉跡を有する。ほかに後世の遺構覆土などから当該期と同じ時期と推定される土器が出土した。また、遺構からの出土ではないが、旧石器時代の石器、縄文時代中期前半の土器などが出土しており、先史時代から人々が調査地点周辺で生活していたものと推測される。
 江戸時代においては17世紀後葉以降に旗本の抱屋敷地となる。抱屋敷地の主な所有者は大岡家、三島家、蜂屋家と変遷し、概ね18世紀後葉から幕末に至るまでは蜂屋家の抱屋敷地となっていた。明和3(1766)年には当地を指すと思われる「椎木屋敷」で火災があった記録が残されている。明治以降も蜂屋家が所有する敷地であったが、明治37(1904)年に東京市小石川第二尋常小学校(現在の文京区立小日向台町小学校)が開校した際に、抱屋敷の北西側の敷地は校地の一部となる。また、その敷地にあったと推測される抱屋敷の象徴となっていた椎の巨木は、小学校の校庭北東側に位置することとなる。昭和11(1936)年以降には児童増加に伴う校地の拡張がなされ、調査地点北側を含む敷地が校地に加わる。その敷地において昭和17(1742)年に小学校の屋内体操場が新設されるが、昭和20(1945)年の空襲によって、木造の旧校舎や椎の巨木とともに焼失した。
 本調査で検出した江戸時代の遺構・遺物は、概ね18世紀中葉から19世紀後葉(幕末)までの時間幅が認められた。遺構の分布と変遷から、調査地点での土地利用は特に19世紀以降に活発になり、幕末以降には低調となることが推定される。遺構には地下室のほか、井戸、採土抗、植栽痕、小穴列などがあり、調査区北側に遍在する傾向が認められた。これらの遺構の様相などから、調査地点は屋敷建物裏手、あるいは庭のような空間に相当していたものと推定される。注目すべき遺構として、地下室の122号遺構が挙げられる。122号遺構は18世紀中葉から後葉の廃絶が推定される遺構で、多量の被熱した遺物が出土した。この被熱した遺物は、明和3年に起きた屋敷における火災の際に廃棄したものの可能性がある。ほかに19世紀後葉の土坑である082号遺構から「蜂屋」と墨書された陶器蓋が出土した。
 近代以降の遺構には、第1面で検出された建物跡の001棟遺構などがある。過去の小学校に関する資料を基に検討した結果、001号遺構は昭和17年に建設された屋内体操場の基礎部分であることが判明した。

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