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御殿前遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25409
引用表記 (財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2012 『東京都埋蔵文化財センター調査報告268:御殿前遺跡』(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2012 『御殿前遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告268
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ファイル
書名 御殿前遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな ごてんまえいせき
副書名 西ヶ原一丁目地区都市再生機構用地に係る埋蔵文化財発掘調査(2期調査)
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 268
編著者名
編集機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20120215
作成機関ID
郵便番号 206-0033
電話番号 042-373-5296
住所 東京都多摩市落合1-14-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 御殿前遺跡
遺跡名かな ごてんまえいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都北区西ヶ原一丁目31番地
所在地ふりがな とうきょうときたくにしがはらいっちょうめ31ばんち
市町村コード 13117
遺跡番号 27
北緯(日本測地系)度分秒 354440
東経(日本測地系)度分秒 1394438
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7477 139.7407
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20101001-20110331
調査面積(㎡)
1586
調査原因 集合住宅建替・市街地整備
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
住居跡1
土坑1
ピット1
主な遺物
土器(早期から晩期)
石器(石鏃 スタンプ形石器 磨石 打製石斧 石皿 石棒)
特記事項
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
住居跡2
主な遺物
土器(後期)
特記事項
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物跡2
竪穴状遺構1
溝1
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 豊島郡衙関連遺構
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
ピット366
土坑45
溝3
地下式坑2
段切り
主な遺物
陶器
舶載磁器
土器皿
石臼
銭貨
特記事項
種別
その他
時代
近代(細分不明)
主な遺構
主な遺物
陶磁器
ガラス製品
特記事項
要約 [御殿前遺跡 要約]
調査範囲は西ヶ原貝塚の北側、豊島郡衙遺構が広がる御殿前遺跡の南端にあたる。縄文時代では前期前半の住居跡1軒を検出した。同期の住居跡は過去の調査により周辺200mの範囲に9軒が検出されている。これらは重複しているものもあり、すべてが同期に存在したわけではないが、複数軒が同時存在していたことも考えられる。弥生時代では後期の住居跡2軒を検出した。周囲は同期の住居跡が多数分布しており、弥生後期にあっては、当地は集落の一部にあたると考えられる。古代では掘立柱建物と溝跡を検出した。これらの遺構は豊島郡衙の南端にあり、溝は郡衙の南限を示す可能性がある遺構である。中世では段切り、多数のピット、土坑などからなる遺構群を調査した。遺構群は調査範囲外の東側に広がっており、この範囲は北区教育委員会において1990年に発掘調査が行われ、『御殿前遺跡3』(1992 北区埋蔵文化財報告10集)として報告されている。今回の調査では、重複する多数の土坑とともに火葬跡2ヵ所、地下式坑2基も検出しており、また土坑の多くは墓とみられる。中世ではこれらの遺構が関連して葬送の場・墓地を形成していたものと考えられる。

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