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四谷1丁目南遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/121968
引用表記 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2019 『東京都埋蔵文化財センター調査報告342:四谷1丁目南遺跡』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2019 『四谷1丁目南遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告342
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ファイル
書名 四谷1丁目南遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな よつや1ちょうめみなみいせき
副書名 赤坂迎賓館前公園施設(仮称)の整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 342
編著者名
編集機関
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
発行年月日 20190329
作成機関ID 13224
郵便番号 2060033
電話番号 0243748044
住所 東京都多摩市落合一丁目14 番2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 四谷一丁目南遺跡
遺跡名かな よつやいっちょうめみなみいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都新宿区四谷一丁目12番地
所在地ふりがな とうきょうとしんじゅくくよつやいっちょうめ12ばんち
市町村コード 13104
遺跡番号 113
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354059
東経(世界測地系)度分秒 1394359
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.683055 139.733055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20171201-20180831
調査面積(㎡)
1200
調査原因 その他建物(整備事業)
遺跡概要
種別
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
土器(後期前葉)
特記事項
種別
城館
時代
近世(細分不明)
主な遺構
溝34基
土坑24基
井戸15基
地下室3基
ピット87基
主な遺物
磁器
陶器
土器
土製品
石製品
金属製品
木製品
漆製品
特記事項 立川ローム上部ガラス質火山灰(UG)、寛永13 年(1636)江戸城外堀普請に伴う大規模な盛土、近世初頭の噴砂を検出
種別
時代
近代(細分不明)
主な遺構
建物基礎
雨水枡
主な遺物
土管
煉瓦
特記事項
要約  四谷一丁目南遺跡は武蔵野台地東縁部に立地する、武家屋敷跡を主体とする遺跡である。今回おこなった第4 次調査では、江戸時代後期の武家屋敷に関連する遺構や遺物が認められた。これらは調査範囲のほぼ全体を覆う、厚さ2m を超える大規模な盛土によって造成された平坦面の上に形成されており、盛土の下位には東西方向の浅谷が存在したことが判明した。火山灰の同定や放射性炭素年代測定の結果から、谷は完新世初頭以降に埋没が進み、近世初頭には浅谷となっていたものと推定された。この谷は寛永13 年(1636)の江戸城外堀普請にともない発生した土砂を盛土として埋め立てられたものと見られ、盛土の体積や構成内容をもとに、普請の様相やそれ以前の地形について検討がおこなわれた。この他、近代に調査地一帯に所在した華族女学校・学習院に関連する遺構や遺物も若干認められた。

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