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江戸城跡三の丸地区

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27951
引用表記 (公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2015 『東京都埋蔵文化財センター調査報告302:江戸城跡三の丸地区』(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2015 『江戸城跡三の丸地区』東京都埋蔵文化財センター調査報告302
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ファイル
書名 江戸城跡三の丸地区
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな えどじょうあと さんのまるちく
副書名 皇宮警察本部大手待機所建替工事に伴う埋蔵文化財調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 302
編著者名
編集機関
(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行機関
(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20150630
作成機関ID
郵便番号 206-0033
電話番号 042-373-5296
住所 東京都多摩市落合1-14-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 江戸城跡
遺跡名かな えどじょうあと
本内順位
遺跡所在地 東京都千代田区千代田1-4
所在地ふりがな とうきょうとちよだくちよだ1の4
市町村コード 13101
遺跡番号 1
北緯(日本測地系)度分秒 354115
東経(日本測地系)度分秒 1394536
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.6907 139.7568
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20141007-20141226
調査面積(㎡)
153
調査原因
遺跡概要
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
石組
礎石
砂利敷
柱穴
土坑
木組遺構
砂利面
硬化面
ロームブロック整地面
焼土面
主な遺物
陶磁器
土器
金属製品
銭貨
石製品
木製品
特記事項 江戸城築城に伴う埋立て層と杭及び木組遺構。寛永12年以前に江戸城旧二の丸にあった大名屋敷の建物の礎石と寛永8年の火災の焼土層。寛永12年以降の三の丸遺構。
要約 [江戸城跡 要約]
調査地点は、現在の皇居東御苑の東側、江戸城の三の丸があった場所である。この場所は日比谷入江の西側の低地で、徳川家康の入府後に埋立てられた場所である。寛永12年以前は、酒井雅楽頭忠世の屋敷であった。寛永12年に新たな二の丸の拡張に伴い屋敷は移転し、新たな三の丸の北側に殿舎が設けられ、その南が空閑地となる。調査地点は空閑地にあたり、南側に喰違門と石垣があった場所である。明治時代以降は皇居となり現在にいたる。調査の結果、寛永12年以降の砂利の面や建物の基礎と考えられる礎石などが見つかった。下層からは火災の際に堆積した焼土層と焼けた礎石が見つかり、出土した遺物や文献史料などから、寛永8年に酒井家で起きた火事の跡であることがわかった。さらに下層からは江戸時代初期の埋立てに伴うと考えられる杭や木組も見つかった

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