URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/24814
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引用表記 |
千葉市文化財調査協会 1987 『芳賀輪遺跡・太田アラク遺跡』千葉市文化財調査協会
|
千葉市文化財調査協会 1987 『芳賀輪遺跡・太田アラク遺跡』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=順一|last=佐藤|title=芳賀輪遺跡・太田アラク遺跡|origdate=1987-03-31|date=1987-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/24814|location=千葉県千葉市中央区南生実町1210番地|ncid=BN07639142}}
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ファイル |
|
書名 |
芳賀輪遺跡・太田アラク遺跡 |
発行(管理)機関 |
千葉市埋蔵文化財調査センター
- 千葉県
|
書名かな |
はがわいせき・おおたあらくいせき |
副書名 |
|
巻次 |
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シリーズ名 |
|
シリーズ番号 |
|
編著者名 |
|
編集機関 |
千葉市文化財調査協会
|
発行機関 |
千葉市文化財調査協会
|
発行年月日 |
19870331 |
作成機関ID |
12100 |
郵便番号 |
260-0814 |
電話番号 |
043-266-5433 |
住所 |
千葉県千葉市中央区南生実町1210番地 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
芳賀輪遺跡(第1地点) |
遺跡名かな |
はがわいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
千葉県千葉市若葉区古泉町554ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう554ほか |
市町村コード |
12104 |
遺跡番号 |
3461 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353525 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401420 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.590277 140.238888
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
4300
|
調査原因 |
千葉市農政センター整備 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土壙2
|
主な遺物 |
縄文土器
土製品
石鏃
磨石
石斧
|
特記事項 |
111号土壙(中期中頃) 113号土壙(加曽利E式) 土器片は、早期田戸式・中期勝坂式・加曽利E〜式・後期称名寺式・加曽利B式・堀之内式。 遺構外の掲載遺物に耳栓状の土製品2点含む。 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
住居跡
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
砥石
土製紡錘車
管玉
刀子
巡方
|
特記事項 |
116〜119号住(第1地点) 116住から巡方1と畿内系暗文土師器出土。 |
種別 |
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
掘立柱建物跡
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
89号掘立(第1地点) 土師器は、遺構外の遺物。 |
種別 |
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
土壙
炭窯
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
110号土壙 31〜33号炭窯 主な時代:時期不明 |
|
遺跡名 |
芳賀輪遺跡(第2地点) |
遺跡名かな |
はがわいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
千葉県千葉市若葉区古泉町554ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう554ほか |
市町村コード |
12104 |
遺跡番号 |
3461 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353525 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401420 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.590277 140.238888
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
4300
|
調査原因 |
千葉市農政センター整備 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土壙
|
主な遺物 |
縄文土器
|
特記事項 |
113号土壙(加曽利E\0) |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
住居跡
掘立柱建物跡
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
刀子
|
特記事項 |
123〜127号住 |
種別 |
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
土壙
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
112号土壙 主な時代:時期不明 |
|
遺跡名 |
芳賀輪遺跡(第3地点) |
遺跡名かな |
はがわいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県千葉市若葉区古泉町554ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう554ほか |
市町村コード |
12104 |
遺跡番号 |
3461 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353519 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401415 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.588611 140.237499
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
4300
|
調査原因 |
千葉市農政センター整備 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器
土製品
|
特記事項 |
土製品:遺構外遺物に「耳栓」あり。 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
掘立柱建物跡
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
88号掘立(複数回の建替えあり) |
|
遺跡名 |
芳賀輪遺跡(第4地点) |
遺跡名かな |
はがわいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
千葉県千葉市若葉区古泉町554ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう554ほか |
市町村コード |
12104 |
遺跡番号 |
3461 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353519 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401415 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.588611 140.237499
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
|
調査原因 |
千葉市農政センター整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
土製品
|
特記事項 |
土製品:遺構外遺物に「耳栓」あり。 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
竪穴住居跡1
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
120号住 |
|
遺跡名 |
芳賀輪遺跡(第5地点) |
遺跡名かな |
はがわいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
千葉県千葉市若葉区古泉町554ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう554ほか |
市町村コード |
12104 |
遺跡番号 |
3461 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353514 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401422 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.587222 140.239444
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
4300
|
調査原因 |
千葉市農政センター整備 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器
|
特記事項 |
確認調査時に微量。 |
|
遺跡名 |
芳賀輪遺跡(第6地点) |
遺跡名かな |
はがわいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県千葉市若葉区古泉町554ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう554ほか |
市町村コード |
121045 |
遺跡番号 |
3461 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353514 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401419 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.587222 140.238611
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
4300
|
調査原因 |
千葉市農政センター整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
住居跡2
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
121・122号住 122住から墨書「幡」 |
種別 |
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
土壙
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
時期不明 |
|
遺跡名 |
太田アラク遺跡 |
遺跡名かな |
おおたあらくいせき |
本内順位 |
2 |
遺跡所在地 |
千葉県若葉区古泉町570-12ほか |
所在地ふりがな |
ちばしわかばくこいずみちょう570-12ほか |
市町村コード |
12104 |
遺跡番号 |
3464 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353538 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1401415 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.593888 140.237499
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19850917-19860214
|
調査面積(㎡) |
1323
|
調査原因 |
市道整備 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器
石鏃
|
特記事項 |
|
種別 |
古墳
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
円墳1
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
鉄鏃
|
特記事項 |
7世紀代 軟質砂岩使用の截石積箱式石棺 |
種別 |
集落
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
住居跡1
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
2号住(焼失) 6世紀後様 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
住居跡1
掘立柱建物跡1
|
主な遺物 |
土師器
石製紡錘車
|
特記事項 |
1号住 8世紀前半 |
種別 |
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
土壙4
|
主な遺物 |
石鏃
|
特記事項 |
時期不明 |
|
|
要約 |
[芳賀輪遺跡(第1地点) 要約] 農政センターの整備に伴う調査は、平成8年度まで継続した。本報告は、昭和61年度の12回目の調査の成果である。 芳賀輪遺跡は、奈良・平安時代の地域の拠点となった集落と考えられる。特に、掘立柱建物跡が目立ち、墨書・腰帯金具などの官人層の存在を彷彿とさせる成果が多く確認されている。この報告でも、巡方や墨書土器などが出土している。 [芳賀輪遺跡(第2地点) 要約] 農政センターの整備に伴う調査は、平成8年度まで継続した。本報告は、昭和61年度の12回目の調査の成果である。芳賀輪遺跡は、奈良・平安時代の地域の拠点となった集落と考えられる。特に、掘立柱建物跡が目立ち、墨書・腰帯金具などの官人層の存在を彷彿とさせる成果が多く確認されている。この報告でも、巡方や墨書土器などが出土している。 (内容は、第1地点に同じ) [芳賀輪遺跡(第3地点) 要約] 農政センターの整備に伴う調査は、平成8年度まで継続した。本報告は、昭和61年度の12回目の調査の成果である。芳賀輪遺跡は、奈良・平安時代の地域の拠点となった集落と考えられる。特に、掘立柱建物跡が目立ち、墨書・腰帯金具などの官人層の存在を彷彿とさせる成果が多く確認されている。この報告でも、巡方や墨書土器などが出土している。 (内容は、第1地点に同じ) [芳賀輪遺跡(第4地点) 要約] 農政センターの整備に伴う調査は、平成8年度まで継続した。本報告は、昭和61年度の12回目の調査の成果である。芳賀輪遺跡は、奈良・平安時代の地域の拠点となった集落と考えられる。特に、掘立柱建物跡が目立ち、墨書・腰帯金具などの官人層の存在を彷彿とさせる成果が多く確認されている。この報告でも、巡方や墨書土器などが出土している。 (内容は、第1地点に同じ) [芳賀輪遺跡(第5地点) 要約] 農政センターの整備に伴う調査は、平成8年度まで継続した。本報告は、昭和61年度の12回目の調査の成果である。芳賀輪遺跡は、奈良・平安時代の地域の拠点となった集落と考えられる。特に、掘立柱建物跡が目立ち、墨書・腰帯金具などの官人層の存在を彷彿とさせる成果が多く確認されている。この報告でも、巡方や墨書土器などが出土している。 (内容は、第1地点に同じ) [芳賀輪遺跡(第6地点) 要約] 農政センターの整備に伴う調査は、平成8年度まで継続した。本報告は、昭和61年度の12回目の調査の成果である。芳賀輪遺跡は、奈良・平安時代の地域の拠点となった集落と考えられる。特に、掘立柱建物跡が目立ち、墨書・腰帯金具などの官人層の存在を彷彿とさせる成果が多く確認されている。この報告でも、巡方や墨書土器などが出土している。 (内容は、第1地点に同じ) [太田アラク遺跡 要約] 市道整備に伴う調査なので、幅狭10m、長さ500mほどの調査区だったが、集落と墓域の一部を確認できるなど、比較的まとまった成果が得られた。1号住居跡の西隣には、主軸を同じくする掘立柱建物跡が検出され、奈良時代の集落が台地上の平坦部に広く、かつ規則性を持って配置されていたことを窺わせる。古墳の主体部(軟質砂岩截石積箱式石棺)は、近隣の芳賀輪遺跡で広く展開する奈良時代の集落に先行する古墳時代終末期の墓域が存在することを示しており、遺跡の立地する台地が7世紀代からの拠点的な場所と認識されていた可能性を示唆している。古墳の周溝は、南側の一部が確認されたにすぎず、彎曲気味であることから円墳と推定される。箱式石棺は、周溝との位置関係から墳丘の南側の偏った位置になる。7世紀代の軟質砂岩使用の箱式石棺の調査例は、鹿島川流域(市内)では珍しい。
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